隅田川

「人間憂いの花盛り。無常の嵐音添い。」

謡を少しお稽古された方ならば、「隅田川が謡えるようになりたい」と憧れる曲であろうかと思います。深く重々しい雰囲気がそう思わせるのでしょうか。

母親が、いなくなった我が子を捜し求める、狂女物といわれる能はいろいろありますが、生きて再会を果たせないのは「隅田川」ただ一曲です。

我が子の墓所の前で「人間憂いの花盛り。無常の嵐音添い。…」吶々とした調子の地謡がひびき、母親は動く事もできず、ただ座したままです。隅田川の渡し守に弔いを勧められても「母はあまりの悲しさに、念仏をさえ申さずして、唯ひれふして泣きいたり。」と悲しむのみです。昔、亡父照也が「さりとては人々、この土を返して今一度、この世の姿を母に見せさせ給えや。」と、母が土を掘り返して、我が子の生きていた時の姿を見せてほしいと言う所を地謡が謡うのに、「皆、荒く謡いすぎだ。子供のない者には、わからんやろな。」と言って、私に「こう謡うんだ」と聞かせておりました。その頃は私も二十才前後で、死後一年も経って土を掘り返して半分腐敗したのが出てくると嫌だなと位に思い、「わからんやろな」といわれた内でした。

我が子の為と聞き、母も念仏を始めますが、南無阿弥陀仏の声に「隅田河原の、波風も声立て添えて」「名にし負はば、都鳥も音を添えて」と、川の水の音、風の音、鳥の声も、皆一緒に念仏に交じり、弔っているように聞えます。澄み切った声で謡が進むと、それこそ妙花が開くように思います。そこに亡き子供の声が混じり、幽霊が見えます。これは母親にのみ見えるのでしょう。

東の空がほのぼのと明けてくると、我が子と見えたのは塚の上の草でした。「東雲の空も、ほのぼのと明け行けば跡絶えて…」気が付くと夜明けの広大な関東平野が見えるんだと、昔、何もわからぬ頃に習ったものです。

 平成24年11月10日照の会「隅田川」
上田拓司