砧「さきだたぬ、悔いの八千度百夜草…」

観正会定式能別会
平成14年9月15日(祝)午前11時
湊川神社神能殿(神戸)

 誤解と言う事は、膨らんで行くと取り返しのつかない事になると思い知らされます。
 九州芦屋に住む人(ワキ)が、自訴の事があり、都で3年過ごします。昔も現代と同じく裁判は長びくのでしょう。故郷を心配し、この年の暮れには帰るとの便りを持たせ、侍女の夕霧(ツレ)を九州芦屋へ下しますが、3年間夫と共に都に居た夕霧の何気ない言葉は、夫の帰りを待ちわびている妻(シテ)の心を揺れ動かします。
 妻は、昔、唐土で蘇武と言う人が胡国に捕らわれた時、故郷の妻子が打った砧の音が遥か万里の彼方の蘇武に聞こえたと言う故事を思い、砧を打ち、心を慰めようとします。西より吹く風に、松の枝々を鳴らす音までも残さず都の夫へ…、との思いを込め砧を打ちます。しかし疑心暗鬼の妻の心には、色々の思いが起こり、自分の打つ砧の音、夜嵐の音、悲しみの声、虫の音、交じりて落つる露、涙…、ほろほろはらはらと聞こえる音は、どれが砧の音なのか…。そこへ都より、この年の暮れにも帰れないとの知らせがあります。必死に、この年の暮れには…、と自分の心を偽りながら待っていた妻は、ついに病の床で空しく(身体が空になる、死ぬ)なってしまいます。
 残された夫の言葉が「先立たぬ、悔いの八千度百夜草、蔭よりも…」です。後悔先に立たず、とはよく言ったものです。こんな事になるとわかって居れば…、と言う所でしょうか。草の蔭(草葉の蔭)の妻はというと、夫への執心で、成仏する筈もないでしょう。夫への怨みを、激しく述べますが、夫の合掌の前で、怨みの融けて行く様子を思うと、頼みとしていたが上の、そして愛故の怨みであったと思い当たります。
 22歳の時、父照也のシテで、初めて砧のツレ「夕霧」をさせて頂いてから、実に様々の「砧」に出会いました。この度、初めて「砧」のシテをさせて頂きますが、私の中で、年月と共に膨らんだ思いを伝える事が出来るだろうかと、私自身心配しながら、その日を待っております。

「砧」へ向けて
平成14年7月24日 上田拓司

モニター通信

香地ゆかり

1・モニター企画の第一印象について

 私のような能とは全く無縁のものが、能を見る機会をいただけたことを大変光栄に思いました。9/9「能への誘い」、9/15の観正会定式能別会、初めてということで緊張いたしましたが楽しませていただきました。

2・「能への誘い」に関して

 砧のお話はなんとなくですが知っておりましたが、私は砧は読んだことがあるだけで、能については全く無知です。「能への誘い」で、能での動作、言葉の説明、舞台に立つ側の砧に対する思いなどを交えてのお話を聞いてはじめて、私がただ読んだことのあるだけのストーリーに空気が加わった感じがいたしました。当日は、講演を聞いていたおかげで、少し余裕をもって、見る事ができました。

3・感想

 残念ながらほとんど台詞と聞き取る事ができませんでしたが、衣装や動きに目をこらしていました。思っていたより夕霧の衣装が派手で、蘆屋の何某の妻のわびしさが浮き出ている感じがするなと思ったり、ゆっくりと歩く様子、楽器と揺の普段聞く事ができないリズムなどを、感覚で鑑賞させていただきました。
 前半、動きが静かで間がたくさんあったので、素人の私としては少しとまどいましたが、それで後半の妻(霊)の動きある舞で恨みの強さを感じる事ができたように思います。なにぶん初めてで、雰囲気に慣れる事でせいいっぱいという感じではありましたが、ゆったりと時間を過ごさせていただきました。