国栖


平成15年4月29日
第10回賀茂川荘薪能

鮎之段への思い

 魚偏に占と書いて、アユと読みます。その昔、神宮皇后が、玉島川で鮎を釣って、戦の占いをしたからとのことです。
 時は壬申の乱、吉野へ逃げる清見原天皇(大海士皇子、後の天武天皇)は、この二、三日、何も食していません。国栖に登場する老人は、国栖川(吉野川)で釣った鮎を焼いて差し出します。老人が、その残りを賜り裏返すと、その鮎は未だ生き生きと見えます。そして、神宮皇后の故事を思い、この魚を吉野川に放して、もし生き返ったならば、清美原天皇も再び都に還幸するであろうと言います。
 焼いて半分食べた鮎を川に戻して生き返ると言うのですから、傍にいる老人の妻でさえ、「條なき事な宣ひそ。放いたればとて生き返るべきかは。」と、呆れる内容です。でも、能の舞台では、鮎は川に放すとたちまち生き返り、吉瑞を現します。
 しかしよく考えると、「岩切る水に放せば…」とあるように、かなり流れの急な所に放している様で、あっという間に流される鮎を、生き返ったと言って、清見原天皇一行を励ましたのでしょうか。なんとも微笑ましい老人で、私の知人にも似た様な人がいる様に思います。
 この短い場面を「鮎之段」と呼んでおりますが、舞台の前面に出て行き、顔(能面)の動きだけで、鮎が生き返った様を見せます。能の長い歴史の中で、名人上手と言われた人が「鮎之段」を演じた時、本当に鮎が生き返った様に思え、清見原天皇も励まされたと感じた事と思います。

平成十五年四月二十九日 賀茂川荘薪能
上田拓司