加賀の国、白山の麓に住む男が、幼い人と連れ立って、よく当るという占いに出かけます。
占を引くのは男神子(おとこみこ)で、小弓に短冊をつけ、その短冊の歌によって判じます。その男神子は、伊勢の国、二見浦の神職ですが、旅の途中で頓死したのですが、三日後に生き返り、その時より白髪になっています。
まず、白山の麓に住む男が、父の病状について尋ねると、大丈夫だと判じられます。
次に幼い人が、生き別れた父の事を尋ねると、既に会っていると判じられます。不思議に思いよくよく尋ねると、その男神子こそが八年前に別れた父でした。これも神の引き合わせと喜び、帰国する事にします。
さて、男神子は、地獄の有様を曲舞(くせまい)に作って謡い舞うというので、所望されます。これを謡い舞うと、神気がついて現なくなりますが、帰国する事になったのでと、曲舞を始めます。
果して、神気がつき現なくなりますが、最後には神は上がらせ給い、わが子と共に伊勢の国へ帰っていきます。
白山の麓に住む男が引いた歌は「北は黄に、南は青く東白、西紅の蘇命路の山」。占いの判は、「それ今度の所労を尋ぬるに、辺涯一片の風より起こって、水金二輪の重結に顕わる。それ須彌は金輪より長じて、その丈十六万由旬の勢い。四洲常楽の波に浮かみ、金銀碧瑠璃玻球迦宝の影、五重色空の雲に映る。されば須彌の影映るによって、南贍部洲の草木緑なりといえり。さてこそ南は青しとはよみたれ。ここにまた父の恩の高き事、高山千丈の雲も及び難し。されば父は山、染色とは風病の身色。しかも生老病死の次第をとれば、西くれないと見えたるは、命期六爻の滅色なれば、おうこれは既に難儀の所労なれども、ここに又染色とは、声を借りたる色どりにて、文字には蘇命路なり。蘇る命の道と書きたれば、まことに命期の路なれども、又蘇命路に却来して、二度ここに蘇生の寿命の、種となるべき歌占の詞、頼もしく思し召され候へ。」
地獄の曲舞は「月の夕べの浮雲は、後の世の迷いなるべし。(夕べの月に浮き雲がかかる様は、人間の後世の迷いを表している)」と始まり、人間の生きていく有様を語り、死後の地獄の責めを語るうち、「面色変りさも現なきその有様、五体さながら苦しめて、白髪は乱れ逆髪の、雪を散らせる如くにて、天に叫び、地に倒れてノ」と狂気してしまいます。本当に、一度死んで三日後に蘇ったかどうかは私には分りませんが、もし本当なら、自分で見てきた世界かもしれません。