弁慶は、今夜は思い止まろうとしますが、自分ほどの者が聞き逃げは無念と思い直し、その者を退治してやろうと、五条の橋へ出かけます。
さて、五条の橋を通った都の者が、逃げてきます。今日も、橋に出た様子です。五条の橋には、傍目には女性とも見えるような牛若丸が、通る人を待っています。
明け方近くなって、弁慶は大鎧を着込み、大長刀を持ち、五条の橋へ現れます。牛若丸を女性と思い込み、過ぎ去ろうとする弁慶を、牛若丸がなぶります。弁慶の持つ長刀の柄本を蹴り上げてしまうのです。怒った弁慶は、「いで物見せん、手練の程と」斬ってかかりますが、小さな牛若丸に翻弄され、ついに降参してしまいます。
素性を聞くと、源義朝の子とわかり、主従の約束をします。
古くより語られる、五条の橋での、牛若丸、即ち後の源義経と、武蔵坊弁慶の出会いのお話です。能では千人斬りをしているのは牛若丸になっていますが、これより後の源平合戦での平家滅亡までを思えば、大きな出会いと言えます。
さて、舞台では、当然の事ながら、弁慶を大人が演じ、牛若丸を少年が演じます。本物の牛若丸ではありませんので、実際に戦うと子供が負けてしまう事でしょう。しかし能では、何百年もの間やってきた、「型」というものがあり、何時、どこで、何をするか、全て決まっており、先人たちの工夫が、残っております。その通りやれば、大人が子供に負ける様になっているのです。但しちゃんとやらなければ、面白くはならないのですが…。そのちゃんとやるための工夫、研鑚が、現代の舞台に出演する者の生涯のつとめです。
橋弁慶のお話が、今日の舞台によみがえれば、と考えております。
西宮薪能では、幾度となく「橋弁慶」を演じておりますが、特に今回は、瓦照苑の子供教室で平成十六年よりお稽古をしております山口孝明君が「子方・牛若丸」を勤めます。瓦照苑で初めて御稽古をさせて頂いた、当時三歳のほんとうに小さく幼い孝明君を思い出しております。能の子方としては、「橋弁慶」の「牛若丸」は、難しい大役です。「能の家」に生まれたのでなく、普通にお稽古を重ね、「橋弁慶」の「子方・牛若丸」を出来るようになった事、感慨無量でございます。
【一部】の「こども能」で仕舞を舞う子供たちと共々に、暖かくお見守り頂きたいと存じます。
平成23年9月21日 西宮薪能
上田拓司
西宮薪能 平成20年9月21日 西宮 越木岩神社
西宮薪能 平成26年9月21日 西宮 越木岩神社
この度は 能「橋弁慶 笛の巻」をいたしました。この演目は昨年夏、神戸の湊川神社能楽殿にて上演し、大変好評でした。
京の人里はなれた処にひっそりと住いする母、常盤御前を訪ねる牛若丸、思いを切々と語る母と、涙する子をつつむ賀茂川荘の夕闇と風の音、誰とはなしに切り合う相手を待つ牛若丸のその風に吹かれる様、弁慶との出会い、は「五条の橋もさもありなん」と思わせる風情があり、能楽堂とはまた違った趣であったことと思います。
また、四季折々に彩りのある日本庭園の中『月花殿』にて催される『賀茂川荘薪能』は、奥田元宋画伯他名画の並ぶホテルでの丹精なお食事を味わい、お庭を散策し、夕暮れ時より能をたのしむ、豊かな時の流れの中に遊ぶ癒しの処ゆえ、遠方からも多々お出ましになります。このような形で能が楽しんでいただけることを、とてもうれしく感じました。
橋弁慶 笛之巻 の思い出
能に表されている人間模様は、日常の中に多くあると思います。
日々の暮らしの中に、ふと、「このことは、あの能のそれだ。」と思い当たる事がよくあります。また反対に、能の中にも、「あの能のそれは、こういう事だったか。」と思う事もあります。
「橋弁慶 笛之巻」の前半、鞍馬の寺へ預けられている牛若丸が、学問をせず、夜な夜な五条の橋に出て、多くの人を斬っているということを、母の常盤御前にきつく叱られる場面があります。
そのものでした。また、「母の仰せの重ければ、明けなば寺へ上るべし。」と夜が明けたならば、寺へ帰ると言った牛若丸が、「今宵ばかりの名残なれば」と、後半、刀を携えて五条の橋へ出る有様は、いかにも楽しげに見え、「さては、牛若丸も、も、叱られている間中、うなだれていたのは、母の声を頭の上にやり過ごしていたのか。」と思い当たり、子供は多かれ少なかれこの様なものかと思い知らされました。
親としては、子供の為と考え、自分の経験をふまえ、無難な道へ導こうと思うのですが、牛若丸にとって、親の意思に反したその結果として、弁慶と出会ったのであれば、どちらが良かったと言えるでしょうか。またその後、衣川での最後までの一生涯を考えると、牛若丸本人には、本当はどれが良かったのか、などと思いながら子供を見つめております。
平成14年4月29日 賀茂川荘薪能
上田拓司