「みずから清光を見ざれば…」
平家滅亡の後、平家の侍、悪七兵衛景清は、源氏によって日向の国宮崎に流され、年月を送っています。そこへ景清の娘、人丸が、今一度父に対面しようと相模の国より遥々尋ねて行くのが、能「景清」です。
景清は「みずから清光を見ざれば…」自分で光を見られない、つまり、盲目であると言います。しかし、「みずから」という言葉を、「自分からその様にした」ととれば、源氏の世を見るのを嫌って、自分で自分の目を潰したとも考えられるように思います。続く言葉が「とても世を、背くとならば墨にこそ、染むべき袖の、あさましや…」どうせ世の中に背くならば、墨染めの袖に、つまり、仏道に入るべきであるのに…、と。自分自身を捨ててしまっている思いです。
娘の人丸が尋ねてきても、「この仕儀なれば身を恥じて、名のらで帰す悲しさ」心中悲しくとも名のらず、日頃世話になっている、土地の人に「悪七兵衛景清」と呼ばれ、「万事は皆夢の内のあだし身なりとうち覚めて、今はこの世に亡き者と、思い切ったる…」今さら景清という名を呼んでも答えるものかと腹を立てる。………
親子と名のった後、「あわれげに古は…、麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり。」昔の己と、今の自分。その違いへの思い、憤り。
娘に所望され、昔の屋島の合戦の折の、景清の名を上げた手柄話を始めると、まるで昔に返ったように話し出します。「いでその頃は寿永三年三月下旬の頃…」平家は船、源氏は陸、それぞれ陣を海岸に張って勝負を決しようとし、平家方は、なんとか源氏の大将、源九郎義経を討てないかと謀り事を探り、景清が陸に上がり、斬ってかかれば、敵は四方へ逃げ…。活き活きと話をする様子から、景清は今も昔の自分を誇りに思い、今の命の支えにしているのであろう事が思われます。
この話を終え、「昔忘れぬ物語。衰え果てて心さえ、乱れけるぞや、恥かしや…」。我に返って言う事は「はや立ち帰り亡き跡を、弔い給え…」。自分は程なく死ぬので、跡を弔ってくれ…。「さらばよ、止まる、行くぞとの…」その場所に止まる親、行く娘。「セツナイ」という言葉では不足と思いますが、セツナイ別れです。
景清の人物像としては、二種類あるように思います。一つは、今の身体は衰え果ててしまった景清。もう一つは、目は見えなくなったが、未だに気概を持って、平家の武将の面影を残した武骨な景清。身体衰えた景清は、能では、「鬚がなく、着流しの姿で、下に座り、昔の手柄話も座ったまま語る」という事になります。又、武骨な景清は「鬚をはやし、大口袴を着け、床几に腰掛け、昔の手柄話は立って動くので仕舞にもなっている」という形です。
私も半世紀生きて、幸か不幸か、景清の心の持ち様、あり方を少しは察する事が出来るようになってきたように思います。しかし、落ち着いて物を思うと、やはり私は穏かに生きたいと思います。そういう時は、なんとなく論語の一節を思い出します。「人知らずして憤らず。又、君子ならずや。」と。
平成22年11月6日照の会「景清」
上田拓司