平成15年9月21日 上田定式能
「宛ら此処ぞ極楽世界に生まれけるかとありがたさよ。」
一遍上人と言えば、熊野本宮證誠殿に七日七夜参籠し、霊夢を蒙って後は、定住することなく、衆生済度の為、一生涯、諸国を廻った僧です。先日、達磨大師の一生涯を映画にしたものを見ましたが、その教えに少しの違いはあっても、生き方に通じる事がある様に思います。
洛陽誓願寺縁起によると、建治二年に、一遍上人は、誓願寺に参籠し、六時の浄業をはげみ、一心に念仏し、諸人に名號の符を与えて念仏をすすめると、人々は日夜に群集し、念仏の符を請けたとなっています。
ある日、参詣群集の中より、優なる女人が上人に、符に「六十萬人決定往生」とあるが、六十萬人以外の衆生は往生に洩れるのかと尋ねると、上人は、彌陀の悲心は無盡であり、六十萬人には限らないと述べ、又、符の文は、神託の四句の文「六字名號一遍法、十界依正一遍體、萬行離念一遍證、人中上々妙好華」の上の字を取り證文の為に書き付けたと示したとあります。女人は歓喜の涙を流し、上人に合掌し、「誓願寺」の額と並べ、上人の御手跡で六字の名號「南無阿彌陀仏」の額にするよう求め、これも御本尊の御告と言い、又、何処に住むかとの上人の尋ねに答え、和泉式部の往生した御堂を教え、消え失せます。
上人が、六字の名號を拝書し、堂上にのぼせ、至心に敬禮し、念仏すると、異香堂に薫じ、瑞雲たなびき、陰々たる楽音の中、奇光照し来る方を見れば、金容の彌陀、雲中に立給い、菩薩聖衆前後を囲み、和泉式部も共に相従って影現せりとあります。
能「誓願寺」では、シテが和泉式部、ワキが一遍上人です。誓願寺の額を除け、六字の名號の額になす事と、和泉式部の往生した御堂でなく、和泉式部の御墓の石塔を教えた事が違うくらいで、殆どこの洛陽誓願寺縁起の通りになっています。
舞台正面、客席の後方に、額がかけられ、その前で人々が一遍上人より符を受け…。施餓鬼法要の時など、寺へ参りますと、門の手前より、鐘の音、読経の声などが聞こえ、お参りを済ませた人と行き違い、私も法の庭へ入り…。現代でも、同じ様な事をさせて頂いております。
「誓願寺」一曲を通じて、おだやかな喜びに満ち、品位というものを感じます。私自身、お彼岸にこの「誓願寺」をさせて頂きます事も、嬉しいことです。
平成15年9月21日
上田観正会定式能
上田拓司