藤戸

「我が子返させ給へや…」

佐々木三郎盛綱は、藤戸の先陣の功により、恩賞として児島を賜り、初めて領地入りをしますと、一人の女が現れ、我が子を波に沈めたと恨みを述べます。初めは隠していた佐々木盛綱も、ついには認め、その時の有様を母の前で話します。「去年3月25日の夜、浦の男を一人近づけ、海の浅みを教えてもらい、口封じにその男を殺して海に沈めた…」と。母は、自分も亡き子と同じ道になしてたばせ給え、同じ様に殺してくれと、佐々木盛綱の腰の刀を取ろうと寄りますが、跳ね飛ばされて泣き伏せます。佐々木盛綱は、その男の跡を弔い、妻子も世に立てる様に約束し、母を自宅に帰します。

夜昼となく弔っていると、明け方の水上に、殺された男の亡者が現れ、弔いは有難いが、尽きない恨みを言います。「川の瀬のように浅い所を教え、その結果、佐々木盛綱は馬で海を渡った事は希代の例であると児島を恩賞に賜ったのに、自分は功があったはずなのに命を召されてしまった。この事の方が希代の例だ…」と。殺された時の事を思い、悪龍の水神となって恨みをなさんと佐々木盛綱を打とうとします。しかし、思いの外の弔いを受け、彼岸に到り成仏の身となります。

佐々木三郎盛綱が藤戸の先陣の功を立てた事は、吾妻鏡にも、平家物語にもありますが、武功を褒めるのではなく、遺族の歎き、又殺された本人の歎きを言うのは、能「藤戸」の作者だけです。

母は、佐々木盛綱に対し、対等には物が言えません。床几に腰掛ける領主に対して、地に座して下からしか物が言えないのです。しかし弔いをする佐々木盛綱は、立っている殺された男の亡霊に、上から恨みを言われます。

領主から、これより後の約束をされ、我が家へ送られる母に、言葉はありません。ただ黙って、重い足で帰ってゆきます。その心中、察します。

弔いを受けた亡霊は、彼岸に到り成仏の身となったという文章で「藤戸」は終わりますが、能では、亡霊は左ヘ回りながら、佐々木盛綱から遠ざかって行きます。私には「彼岸へ到る」のではなく、再び瀬戸内海の深い海の底へ沈んでいくように思えてなりません。

皆さんは、どのように思われますでしょうか。

平成21年12月23日 上田観正会定式能
上田拓司