菊慈童


第13回 照の会 平成19年11月18日

「不老不死の薬となって七百歳を送りぬる。」

 周の穆王の時代、慈童と言う少年がおりました。穆王の寵愛を受けていましたので、常に帝の傍らに侍っておりましたが、ある時、帝が居ない時、誤って帝の枕の上を越えてしまいました。群臣は議して、罪科は浅くないが、誤りから起こった事なので、死罪一等をゆるめて_縣山(れっけんざん)への流刑と決まりました。この_縣山は、山深く、鳥も鳴かず、雲暗く、虎狼の住む所で、仮にもこの山へ入って生きて帰る人はないと言う所です。

 穆王は慈童を哀れみ普門品にある二句の偈「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を密かに慈童へ授け、毎朝に十方を一礼して、この文を唱えるように言いました。慈童は、忘れないように側の菊の下葉に書きつけました。それよりこの菊の下葉の露が僅かに谷の水に滴り、天の霊薬となり、その味わいは天の甘露のようでした。慈童はこれを飲み仙人となり、又、この谷の流れの末を飲んだ民、三百余家、皆病気が治り長寿を保ちました。

 時代が移り、八百余年後、慈童はなお少年のように見えました。魏の文帝の時、彭祖(ほうそ)と名を替え、この術を文帝に授けました。文帝はこれを受け菊花の盃を伝え、万年の寿をされたのが重陽の宴です。

 これより能「菊慈童」が作られました。能では七百年となっていますが、魏の文帝に仕える臣下が_縣山でこの慈童に会い、帝に七百歳の寿命を授けられます。この能「菊慈童」では、しばらくの間、実生活を忘れ、人間が行くことの出来ない世界を感じてみたいと思います。

平成19年11月18日 照の会 「菊慈童」シテ上田宜照によせて
上田拓司