平成20年7月13日 第15回賀茂川荘薪能
藤原房前は、自らが幼いころ母が亡くなったという、讃州(香川県)志度の浦の房前へ、追善の為に訪れます。
海面に写った月の障りになるからと、海士の女にミルメを取るように求めます。海士の女が「昔も同じ様に、月の様な宝の玉、明珠を竜宮から取り上げたのも海士であった」というのを聞き、話をよく聞くと、唐土より三つの宝「華原磬、泗濱石、面向不背の珠」が渡ってきたが、明珠「面向不背の珠」は到着することなく竜宮へ取られたのを、海に入り竜宮よりその明珠を取ってきたのが、この浦の海士であるという事でした。
その昔、今の大臣淡海公藤原不比等が明珠を取り戻す為、この浦へ来、海士と契り一人の子が生まれ、その子を大臣の世継ぎにする事を約束し、海士は海に入り、命と引き換えに明珠を取ってきた話をし、自分はその幽霊であると明かし、弔いを願い、消え失せます。
房前には、母親の事はよく知らさせれていなかったので、今、海士の子であった事を知り、色々の弔いをなすと、海士の幽霊が龍女の姿で現れ、龍女成仏の名のとおり、成仏を喜びます。
平成20年7月13日
上田拓司
海士への思い
私が初めて能「海士」のシテ、即ち房前の大臣の母である海士の幽霊をさせて頂きましたのは二十五年前、二十四歳の最後の日、私の父の初七日の日でした。心配してくださる方から「出来るか?大丈夫か?」といって頂きましたが、自分自身、体力面も心配ではありましたが、父がつけてくれた最後の御役と思い、勤めさせて頂いた思い出があります。その後、幾度かさせて頂きましたが、二回目からは、私の子を子方、房前の大臣にシテさせて頂き、今回も私の四人目の子、絢音が子方です。
「玉の段」と呼ばれる所で、昔、母親の海士が海中の竜宮へ珠を取りに行ったところを動きをつけて、海士が話をしますが、初めに「もしこの珠を取り得たらば、この御子を世継の御位になし給えと申ししかば、子細あらじと領承し給う。」母は続けて「さては我が子ゆえに捨てん命。露程も惜しからじ…」と腰に縄を付け、海底に深く入いります。竜宮に着くと、高さ三十丈もの玉塔がそびえ、それを守る八竜、悪魚、ワニ(サメ)。自分の命もこれまでと思い、海中から上を見上げると海上の波が見え、あの波の彼方に、我が子、その父大臣もおり、このまま別れると思うと涙ぐみますが、思い切って竜宮へ飛び入り、珠を取ります。逃げ切れず自分の乳の下を切り、その中に珠を押し込め約束の縄を動かすと人々は引き上げます。
海士が、自分がその時の海士の幽霊であり貴方の母であると、房前に名乗るとき、「さてこそ御身も約束の如く、この浦の名によせて、房前の大臣とは申せ。」と、自分の子である房前に言います。母親として心如何ばかりであろうかと思います。
初めて海士をさせて頂いた時は、無事にさせて頂くだけで精一杯だたのですが、自分の子を子方にして海士をさせて頂く様になり、親として、また妻としての海士の思いを考えずにはおれなくなりました。
後場で、弔いの場に法華経の文が流れ、バンシキと呼ぶ常より高い音の笛が流れ、海士の幽霊は、龍女の姿となり弔いを喜びの舞を舞います。浄土とはこんな所であろうかと思います。
平成20年7月13日
上田拓司