江口

平成20年11月1日 照の会

即ち普賢菩薩と現れ…

 諸国一見の旅僧が江口の里で、昔、西行法師が一夜の宿を借りようとしたが、宿の主が貸そうとしなかったので「世の中を厭うまでこそかたからめ、仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだことを思っています。どこからともなく女性が現れ、西行の歌への宿の主の返歌は「世を厭う人とし聞けば仮の宿に心とむなと思うばかりぞ」であり、宿の主は、西行に対し宿を惜しんだのではなく、西行が出家であるから色好みの女性の宿に「心とむな」と諌めたのだと言います。その女性は遊女「江口の君」の幽霊でした。
 江口在所の人に、江口の長の謂れを聞くと、昔、播州書写の開山、性空上人の話を始めます。江口の長が女を連れて舟遊びをしているのを性空上人がご覧になっていたが、目をふさぐと普賢菩薩と現れ、目を開くと江口の長は人間であった。さては江口の長は普賢菩薩であったと言う話でした。
 僧は江口の君の幽霊を弔いを始めようとすると、月澄み渡る河水に遊女が謡を歌う舟遊びが見えます。古の江口の長の舟です。
 「それ、十二因縁の流転は車の庭に廻るが如し…」始めもなく、終りもない無常の有様を歌い舞います。「面白や…」と移って行く、ゆっくりとした序之舞は、永遠に続く無常の中で、人間が思うような時間がなくなってしまうのでしょうか。「思えば仮の宿。」この世は仮の宿である。「心とむな」と人にさえ諌めた我です。帰る江口の君の姿は即ち普賢菩薩と現れ、舟は白象となり、光と共に白妙の白雲にうち乗り、西の空へ行きます。
 昨年、縁あって「縫箔、白地萩ノ摺箔ニ色紙銀杏ノ縫」が手に入りました。焼いた銀箔が古い手法で置いてあるので使用中に銀箔が剥れて装束より落ちてゆき、贅沢とは思いますが大変美しい舞台になるはずです。初めて見た時から「江口」又は「楊貴妃」に使いたいと思っておりました。今回初めて「江口」の後シテ、普賢菩薩に使わせて頂きます。又、前シテには養母妙子が二十五年前に作ってくれておりました「唐織、菱襷向鳳凰模様」「摺箔、白地金砂ニ桜模様」、又後シテの着付には、同じく母が作ってくれておりました「摺箔、白地プラチナト銀銀杏模様」を使用させて頂きます。
 今年は、私の母方の祖母多満子、妻の母ヤスヱ、生母英子の一周忌、養母妙子の二十三回忌です。西行法師が江口にて「世の中を…」と詠み、江口の君が返した「世を厭う…」の二首の歌は、新古今集にありますが、その江口の女性の名は「妙」とあり、偶然ながら母「妙子」と同じです。普賢菩薩と共に、西の空へ、西方極楽浄土へ皆、到ることを願って「江口」を勤めたいと存じおります。

平成20年11月1日 照の会「江口」に向けて
平成20年9月1日 上田拓司