平成18年 第12回 照の会
「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」
旅の僧が都に上る途中、生田の里で、若菜摘みの女性に、生田の森、生田の川、求塚などの事を尋ねます。若菜摘みの女性たちは戯れながら帰ってしまいますが、1人残った女性が、求塚のことを語ります。
「 昔この所に、菟名日少女と申す女ありしに。また其の頃、小竹田男子、血沼の丈夫と申しし者、かの菟名日少女に心をかけ、同じ日の同じ時、わりなき思ひの玉章を通はす。…」小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男に思いを寄せられた菟名日少女は「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と、どちらにも靡かずにいましたが、様々の争いの後、二人の男は生田川の鴛鴦を弓矢で射、二つの矢先は同じ鴛鴦に当りました。菟名日少女は、鴛鴦が死んだ事までも「我故」と思い、「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」、これを最後の言葉に菟名日少女は生田川に身を捨てます。それを取り上げ、塚の土中に籠め、又、二人の男は「何時まで生田川…」何時まで生きる事があろうかと、と刺し違えて死んでしまいました。
これを語るうちに、その女性は、菟名日少女を「私」と言い、二人の男が死んだ事まで「我が利(トガ)」で、たすけ給えと言いながら塚の中に入ってしまいます。
所の者に話を聞き、僧は弔いをしていると、求塚の中より弔いを喜ぶ声が聞こえ、浮かばれていない菟名日少女の亡霊が現れます。小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男は、菟名日少女の左右の手を引き、来れ来れと責め、又、鴛鴦は鉄鳥となって、菟名日少女の髪に乗り移り、頭をつつき、髄を食います。菟名日少女は、地獄の鬼に追っ立てられ、「行かんとすれば、前は海、後は火焔、左も右も水火の責めに詰められて」しかたなく柱に縋りつくと、柱は火焔となって燃え上がります。八大地獄の責めを受け、三年三月の苦しみが果てると、鬼も去り火焔も消え、暗闇となります。菟名日少女の亡霊は、元の住処を求め行き、求塚の草の蔭野の露の様に消え失せます。
能「求塚」の前半、菟名日少女は、雪の残る新春に菜摘み女たちに交じり、旅僧に戯言を言いながら、楽しそうに若菜を摘みます。本当ならば幸せな一生を送る筈であったと思います。ひょっとすると、楽しそうに若菜を摘む女たちと自分も一緒にと思って、ひかれるように交じったのでしょうか。
菟名日少女は、「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と考える様な、やさしい少女であった事と思います。己が決断をしなかった事で、また、己にかかる事を受け入れ様とした事で、思いもよらない結果となりました。鴛鴦が命を落とした事も「我故」と考え、自分で自分の命を絶ち、それ故、二人の男まで死んでしまいます。
「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」生田の川は名のみなりけり。生きるという名前であるのに、生きられなかった…。浮世を渡るという言葉がありますが、生きていく事の難しさを思わずには居られません。菟名日少女、小竹田男子、血沼の丈夫の三人は、神戸の処女塚、その東西にある二つの求塚に、今も浮かばれずにいるのでしょうか。「やさしい」「優柔不断」、「強い」「わがまま」、「中道」「適度」、色々な言葉を改めて考えさせられる思いでおります。
平成18年11月10日 照の会 「求塚」 上田拓司