上田定式能 平成25年9月14日
「さてもわれ西王母が桃実を度々服せしその故に、寿命既に九千歳に及べり」
七月七日に、漢の武帝が承華殿で星祭を行っていると、老人が参内し、西王母の寵愛する三足の青鳥が御殿に飛び廻っているので、西王母が参礼するであろうと告げます。我は東方朔という仙人であり、西王母を伴い重ねて参内すると言って消え失せます。やがて東方朔が現われ、西王母を招き、長寿の桃実を帝に奉じ、舞を舞い、夕陽が西に傾いた頃、帰って行きます。
唐物語によると、漢武帝の時代、東方朔という人は罪を犯して仙宮より暫く人間に下されたとあります。宮の内で色黄なる雀の、普通の鳥とも見えず、怪しく飛ぶのを、帝の下問に東方朔が西王母が参る由を答え、「宮の内静かにて、庭の面を清め香をたき、様々のゆかを設け給ふべし」と言い、床の下に東方朔を隠し置き、秋八月、月がきれいで、香ばしい風が吹き、晴れた空に紫雲がたなびいて、西王母が現われ、七つの桃を取り出し、その三つを帝の奉じたとあります。これを口にふれると、「御身も軽く御心地も涼しくならせ給いて、空にも飛び昇りぬべく、生死の罪障も解けぬべくや思しけむ」とあります。
この桃は三千年に一度実がなるそうで、西遊記で孫悟空が、この西王母の桃園の桃を食べ尽くし、大騒ぎになった場面がありましたが、我々も食べてみたいと思わざるを得ないと思います。
唐物語の続きに、西王母が、東方朔は桃を三度まで盗んだ罪で暫く人間に下されたが、咎をあがなった後は、又天上に還り来るべきと言って、紫雲と共に帰ったとあります。仙界の東方朔でも盗みたくなる桃です。能「東方朔」の最後、西王母は天上に還る心で橋掛を幕際まで歩み行きますが、東方朔は、舞台で曲を終えます。ああ、東方朔はこの時点では人間界から天上へ還られなかったな、と思います。
能「花筐」サシクセの李夫人の話でも知られる漢武帝は、在位五十四年の長きに渡り、前漢の全盛期の帝です。西王母の桃の御陰での長期でしょうか。
能「東方朔」で、西王母の桃「蟠桃」の恵みを思い、又、口に含んでの食感を思い、皆様と長寿を頂きたいと願います。
は、長男宜照に続き、東京の観世宗家へ内弟子として修行に出しました。「東方朔」の後ツレ西王母の御役を最後に暫く上田の舞台には立てなくなると思います。これまで長い間ご後援頂き、深く感謝致しております。何年かかるかわかりませんが、独立して帰って参ります時を心待ちにしております。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
平成二十五年九月十四日 上田観正会定式能 「東方朔」
上田拓司