富士太鼓

 内裏での七日の管弦の時、天王寺より浅間という楽人を召されたが、住吉の富士という楽人が、管弦の役を望んで都へ上った。管弦の役は、浅間に決まりはしたが、浅間は富士の振舞を憎み、殺害してしまう。
 富士の妻は、心にかかる夢を見、富士の安否を心配し、子を連れて都へ上る。そして、富士が浅間に討たれた事を知らされ、富士の形見の舞の装束を与えられる。
 妻は歎き、形見の装束を着て、太鼓を敵と定めて、討ちかかる。太鼓のために落命したと言われて、子も太鼓を親の敵と定めて、打ちかかる。妻には、夫の霊が乗り移った様になり、子を押し退けて太鼓を打ち、その手に持っている撥を剣と定め、怒りの炎の様に太鼓(舞楽の太鼓は、火炎太鼓といって、炎を形作っています)を打ち、夫の類いない、立派な太鼓の役を勤める姿を懐かしむ。
 もう、煩悩の雲を晴らして、五常(後生)楽を打つ様に勧められ、修羅の太鼓は打ち終わり、大君の為に千秋楽を打つと答え、また、民も栄え安穏になる様に太平楽を打つ。夕日も既に傾くと、招き返す舞の手(羅陵王)を打ち、憎い敵は討ち、恨みは晴れ、この上は涙は出る事はないと言う。
 そしてお暇して帰ろうとするが、又立ち返り、この恨みは忘れられないと、そして太鼓こそ夫の形見と、よく見置きて帰って行く。
 富士の妻は、形見の、舞の装束を手に取った時、天王寺の楽人は召されて上るのに、勅諚なき富士が押して参上する非を語り、その上富士自身、住吉明神に仕えている楽人で、この上何の望みがあるのかという言葉を、夫は知らぬ顔をして出ていった事を歎きます。真に尤もな事で、富士の振舞は自分勝手で、浅間にとっては、許し難い行為であったと思います。
 しかし我々能楽師も、富士と同じ芸能者として、富士の気持ちが理解出来なくはありません。富士にとって妻の言葉は、男の夢の解らない、愚妻のうるさい戯言と聞いたのではないでしょうか。妻は、夫の装束を着て太鼓を打ち、夫の優れた楽人としての才能を、とても華やかな伶人の舞の中に、懐かしみますが、才能があるからこそ、富士は、都から離れた自分の境遇に、満足出来なかったのでしょう。それならば、妻の言う様に、夫が死んだのは、太鼓ゆえ、と思えます。
 しかし、無力な妻や子が都へ出て来て、浅間を夫の敵として討つ事も出来ません。萩原の院の臣下(ワキ)の前では、太鼓を打ち、憎い敵の太鼓を打って恨みは晴れ、「涙こそ上なかりけれ」(もう涙は出ない)と言いながら、型はシオリ(泣く)となっています。
 残された妻子は、さぞ無念で、やりきれない気持ちであったでしょう。「梅枝」の能では、富士の妻の霊が登場し、「さるにても我ながら、よしなき恋路に侵されて、長く悪趣に墮しけるよ」と、死後も恋慕の執心に苦しんでいます。富士の身勝手な行動は、多くの不幸を引き起こした事になりましょう。

平成6年11月8日、第17回 長田能