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第4回神戸公演 令和3年

令和3年1月30日
於:湊川神社神能殿

 

瓦照苑 頼政

瓦照苑 頼政

「埋木の花咲く事もなかりしに…」
 源頼政は、どのような人だったろうか、と考えさせられます。平家全盛の時代に、源氏の一員として忍耐が必要な事も多かったであろうと思います。しかし又、頼政という人は、大変な頑固者、ひねくれ者であった様にも感じます。
 旅僧が宇治の里にやってくると、頼政自身から「のうのう御僧は何事を仰せ候ぞ」と声をかけます。又、「昔この所に宮軍のありしに」と源三位頼政の討死を語る様子、そして、「我ながら外にはあらず、旅人の草の枕の露の世に姿見えんと来りたり」と言う詞から、頼政は旅僧に、話を聞いてほしい、弔ってほしいと思っているのがわかります。それなのに、旅僧から名所舊跡を教えてと言われ、「賤しき宇治の里人なれば」答えられないと言い、喜撰法師の庵を尋ねられると、喜撰法師の歌「わが庵は都の巽しかぞ住む 世を宇治山と人はいうなり」から本人さえも「人は言うなり」と言うから自分は知らないと言い、又、自分の死に場所へ案内して、「面白き所にて候、よくよく御覧候へ」と言って、自ら言わずに僧に扇の芝を見つけさせたりと、素直でないなと思います。
 能では間狂言が語る、頼政、仲綱の親子が、木の下鹿毛と言う名馬の事で平宗盛に受けた仕打ちの事、又、ついに決起しようとしたが発覚し、まず三井寺へ、そして大和へと目指す途中での、宮の馬上で居眠りの為の六度もの落馬の事、平家全盛の時代に生き、思い通りにならなかった事、辛い事も多かった事と思います。しかしながらそのような生涯の中で、気位も高かったと思います。僧に、源三位の幽霊かと言われ、自分の事を「げにや紅は園生に植えても隠れなし。」と言う程ですから。又、朝日山から月が出るのを見て「名にも似ず、月こそ出づれ朝日山」と言うなど、歌人としての優しさも見受けられます。
 頼政が宇治川の合戦で死んだのは七十歳に余る老武者です。その頼政の辞世が「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果ては哀れなりけり」(平家物語諸本、身のなる果てぞ悲しかりける)です。自分が埋木で、花が咲かなかったとの句です。頼政の幽霊が「あら閻浮、恋しや」と言いますが、自害する時に、さぞ心残りであった事だろうと思います。だから、死後であっても昔を思い出すと心が高ぶるのだと思います。私自身「頼政」の合戦の様を語る時、戦いの騒々しさが聞こえるような気がして、今でも頼政は成仏していないような気がします。敵方の田原又太郎忠綱が三百余騎を率いて宇治川を渡ってくる有様が、死後も忘れられないのだと感じます。そして、今でも弔いを待っている様に思えます。
 能「頼政」から、人としての人生、幸せ、不幸せ、という事を考えさせられます。
頼政 シテ 上田拓司

瓦照苑 船弁慶

瓦照苑 船弁慶

「その時、義経少しも騒がず」
 船弁慶は、実はあまり好きな曲ではありません。理由は色々ありますが、一番の理由は、舞台上の演出を面白くするためだけに作られたような能だからです。逆に言うと、話の展開が、これほどめまぐるしく変わっていく、見ていてわかりやすく面白い能は中々無いだろうと言えます。

 平安時代末、源平の合戦にて平家を滅ぼした源義経は、源氏の総大将である兄 源頼朝と仲違いをして都に居場所をなくし、西国の方へ逃げる為、尼崎大物の浦に着く。義経の腹心、武蔵坊弁慶は義経を慕う白拍子、静御前が同行していることを良しとせず、都へ追い返すよう仕向ける。義経から直接、都へ帰るよう告げられた静は涙にむせぶが、旅の門出に舞を舞うよう促され、烏帽子を付けて舞を舞う。やがて、舟を出す用意で周囲が慌ただしくなり、静は独り泣きながら、義経に背を向け去っていく。
やがて、船を出すが、嵐に出会い、ふと海上を見ると平家一門の亡霊が浮かび上がってくる。驚く弁慶を義経が諫める中、平家の大将「平知盛」の怨霊が長刀を持って、船を沈めようと迫る。最後は、義経と弁慶の活躍によって怨霊は撃退される。

 この曲が作られた当時、芸術性を追い求めた世阿弥の時代とは能に求められるものが変わっていました。三代目足利義満の金閣寺に代表されるような豊かな時代は終わり、応仁の乱が起こって京都が荒れ果てた時代、その頃を生きたのが、この能の作者、観世小次郎信光です。有力な武家、公家の後援も少なくなり、全ての人に受け入れられるわかりやすい内容が求められました。信光の作品は、芸術的、形式的になりがちだった観世の能に、音楽性や物語の展開といった演出を加え、舞台劇として面白い能を作り上げたのです。
 舞の名手「静御前」の舞。迫る荒波を大小の鼓が表現し、それに立ち向かう船頭を描く「波頭(なみがしら)」。そして嵐と共に迫る平家の怨霊「知盛」のギラリと光る長刀(なぎなた)・・・・。次から次へと見どころが舞台の中で起こる、それが「船弁慶」なのです。前半の能「頼政」は豊かな時代を生きた世阿弥作。同じ平家物語を題材に取っても、これほど曲趣が変わる、「能」の幅広さを本日は肌で感じて楽しんでいただければ、と存じます。
 もっとも、私の実力でこの能の魅力を引き出すことができるかわかりませんが、私の出来る方法でしっかりと勤めて参ります。

 最後になりましたが、緊急事態宣言下の中、足をお運び戴ました皆様へ心より御礼申し上げます。本来、去年開催予定だった当会を延期公演として実施させて戴くことができましたのも、今日お出ましが難しくなってしまわれた方々含め、様々な方の御助力を賜りましてのことと重ねて御礼申し上げますと共に、上田家一〇一年目の第一歩として、これからも変わらぬご愛顧とご期待のほど、よろしくお願い申し上げます。

船弁慶 シテ 上田 顕崇