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第38年 照の会 大阪公演

令和7年7月19日
於:大槻能楽堂

 

瓦照苑 熊野

技は心の姿を伝えます

 能には親子の絆をテーマにした作品は様々ありますが、多くの場合はまだ幼い子供と生き別れになった母親が登場し、母親目線で物語が進んでゆくものが主流のような気がいたします。
 能「熊野」は親子の絆を描いた作品ではありますが、能にしては珍しく子供目線で物語がすすみ、老母に対する娘・熊野の「情愛」をテーマにしています。
 また、優美な舞と繊細な謡を特徴とし、古来より「観れば観るほど噛めば噛むほど良い味が出る」という意味から「熊野・松風に米の飯」と呼ばれ多くの人々に愛されてきた名曲です。
 名曲ゆえに数多くの「観どころ」「魅せどころ」のある熊野ではありますが、その中でも殊に「命あるうちに、もう一度会いたい・・・」という病身の母からの切実な願いが記された手紙を、今を時めく都人・平宗盛に披露する「文の段」は、淡々と謡いながらも「間」や「音の高低」によって熊野の母に対する「想い」を表現しなければならず、謡手・上田宜照の実力が問われる舞台の難所であると思っております。
 また物語の最終盤。降りくる雨に桜が散る様に、母の命が散ってしまうことを連想した熊野が、舞をやめ落ち行く花びらを扇で受け止め、意を決して老母への思いを短冊に書きつけ宗盛に披露する場面は、限られた動きの中で熊野の母への愛の深さを表現せねばならず、今度は舞手・上田宜照としての技量が試される最も重要な「魅せどころ」です。
 まだまだ未熟な能楽師・上田宜照が演じる能「熊野」が、古来より日本人に愛されてきた「米の飯」と同じく、長く忘れられない作品となるかは甚だ不安ではありますが、私なりの「技」と「想い」をもってのぞむ熊野が、皆様の心に「良い味」として残るよう心して務めます。

 私事ではございますが、今年十月には待望の第一子が誕生予定です。
 まだ見ぬ息子に不安と期待が入り混じっておりますが、能を「次世代につなぐ」という使命感も私の中でより一層高まったように感じております。
 どうぞ親子共々、引き続き皆様のお力添えを賜りたく、何卒よろしくお願い申し上げます。

熊野 シテ 上田 宜照

瓦照苑 小鍛冶

 本日使用の面、前シテは「喝食」友閑作(江戸時代初期)上田家蔵。
 後シテは篠山能楽資料館蔵の「泥牙飛出」で、二〇〇一年に篠山能楽資料館が発行した『能楽の美』に「細かい鑿痕をそのまま残し、その上から胡粉下地に金泥彩色、眼球と上下の歯に鋭い牙を持たせ、鍍金金具を施した彫刻的工芸的に秀でた面である。『小鍛冶』の異演式に用いられる。面裏は特徴ある鑿痕であるが、作者名は記されず「安永四年乙未八月廿一日於禁庭掛初ル」と「喜多盈親(花押)」の朱漆書がある」と記されています。
 この「泥牙飛出」は篠山能楽資料館に展示されていた時に拝見し、是非、是非、使用させて頂きたいと思っておりました。能楽資料館館長の中西様に深く感謝しております。この面を使用させて頂くに当たり、着付の厚板は大正期、大口(袴)は昭和初期に、それぞれ私の祖父上田隆一が誂えた装束を使用させて頂きます。

 さて、私の「小鍛冶」の初演は十八歳の時、上田定式能でさせて頂きました。父照也が稽古の時、私の目前で、「また叢雲に飛び乗り」の謡で、座ったまま二回「飛返り」、「こうやるんや!」と言った時の有様を今でも覚えております。父は五十一歳。それは鮮やかなものでした。
 その後、四回目の「小鍛冶」が二十五歳。父照也の一周忌追善別会で、初めて「黒頭」の小書を付けて、させて頂きました。
 そして七回目、昨日までで最後の「小鍛冶」が五十二歳。TTRの会で今回と同じく「黒頭別習」でさせて頂きました。
 外にも思い出されるのが二回目の「小鍛冶」。当時、催されておりました神戸能楽会で、ワキ小鍛冶宗近は、本日のワキ江崎欽次朗氏の祖父様、先々代江崎金治郎先生でした。終了後に私のシテを「今日は孫の相手」と楽しそうに仰って頂いた事を覚えております。
 このように「小鍛冶」のイメージは、若いシテが力イッパイに演じる姿と、お稲荷さんのキツネが、元気にピョンピョン飛び跳ねる姿が重なり、誰が見ても心地よい「祝言」の趣になればヨシです。そうなれば、客席も、舞台上も、その場にいる人が皆、元気になります。これが「小鍛冶」の能です。
 私は当年六十六歳。この年齢での「小鍛冶」です。それも「白頭」ならず「黒頭別習」です。若い頃によくさせて頂いた曲ですが、本当に久しぶりです。世阿弥の言う「五十有余、せぬならでは手立あるまじ」(風姿花伝)の年齢をはるかに超えてしまいました。これは私にとって挑戦です。年甲斐もなく、と思われるかもしれませんが、如何な「小鍛冶」になるのか…。我ながら心配ではありますが、本日はお付き合いを、何卒お願い申し上げます。

小鍛冶 黒頭別習 シテ 上田 拓司