「鬢鬚を墨に染め…」
斎藤別当實盛は、武蔵国長井庄を本拠とし、源悪源太義平が、叔父の源義賢を急襲して討ち取った後、幼い義賢の子駒王丸を木曽の中原兼遠のもとへ送り届け、命を救った人です。この駒王丸こそ、後の木曽義仲です。
平家方の中では、實盛は剛の者と知られていた話が平家物語巻第五「富士川」にもあります。但しこれは、大将軍平維盛が東国の案内者としての實盛に「汝程の強い弓を引く者は、東国八国に如何程いるか」との問いに、實盛は笑って「己程の者は東国にはいくらでもおり、強い弓はしたたかなる者五、六人で張り、鎧二、三両も容易く射通し、馬も上手で、親が討たれても、子が討たれても、それを乗り越え戦う。西国は親が討たれれば孝養し、子が討たれれば嘆き戦わず、兵糧米が尽きれば田をつくり刈り収めてから戦い、夏は暑い、冬は寒いと嫌う。實盛は今度の戦に命生きて再び都へは帰らぬ思いである」と言えば、平家の兵共は皆震いわななきあい、数日後、水鳥どもの羽音に平家方は皆逃げ帰ったという話です。ただここにも實盛が平家方の内で剛の者であった事が読み取れます。
木曽義仲の旗揚げに対し、北陸道への平家の出兵で、平家方が敗れる中、實盛は最後まで戦い、命を落としてから二百年余り経ち、その地、篠原で時宗の遊行上人十四世太空が、七日七夜の別時念仏を催した四日目、遊行上人のもとに白髪の老人が現われ十念を受けて姿を消したが、これが實盛の幽霊であるとの風聞が立ち、当時の醍醐寺座主、満済が「満済准后日記」に「事実ならば希代の事成」と書き留められています。すぐに世阿弥が能にしたのが能「實盛」です。石川県小松市の多太神社には、實盛の兜(重要文化財)が所蔵されており、現代でも時宗総本山、清浄光寺(遊行寺)の歴代遊行上人が北陸へ巡錫の際には、当地の實盛塚に回向し、多太神社の詣でられるそうです。
能「實盛」で實盛が生前「六十に余って戦をせば、若殿原と争いて、先を駈けんも大人気なし。又老武者とて人々に、侮られんも口惜しかるべし。」と言っていたとあります。私も昨年の「夜討曽我」では、息子達に交じり斬組をやり、久しぶりにホトケダオレをし、多くの方から怪我をするからもう止めるようにとか、暖かい諌めの言葉を頂きました。「實盛」をやってみようと考えた一因でもあります。實盛は、鬢鬚を墨で染めて、若やぎ討死しようと考えましたが、私は、あまり無理はせずが良しかな、と思っているような、思い切れないような…。實盛が討死したのは七十三歳、私は当年五十四歳です…。
昭和の能の研究者、香西精先生は、「實盛」について次のように書いておられます。時宗の踊念仏は、大流行したが、ある時期衰退して流行らなくなってきた。その時に、遊行上人が北陸の實盛が討死した地で、時宗を再び流行らせる為に大芝居をした。大変おもしろく思いますが、皆様は如何考えられますでしょうか。実際は如何であれ、「實盛」に取り組んでみまして、實盛は実直な人であったろうな、と思わされました。
平成25年11月9日 照の会「實盛」 上田拓司
上田拓司
左/上田拓司 右/上田顕崇
文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、「江口」の普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。
能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。
本日は半能ですので、後半の獅子が出て来る所のみですが、獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。
石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の三男顕崇も二十歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十六回目となります。顕崇の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として顕崇も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。
本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。
を観世宗家の許ヘ内弟子修行にやりました。暫くは関西の舞台へは上がらせていただく事は、ほとんどないでしょうが、帰って参りました時には、是非御支援を頂きたく、重ねてお願い申し上げます。
平成25年11月9日照の会「石橋」(顕崇披き)当日配布パンフレット用 上田拓司