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第17回 照の会 平成23年

平成23年11月6日

 

瓦照苑 松風

瓦照苑 松風

松とし聞かば今帰りこん

 熊野、松風に米の飯」と言われる程の人気曲です。「米の飯」と同じくらい、飽きが来ないという事でしょうか。

旅僧が、須磨の浦で、所の人に「様ありげなる松」が「松風、村雨」二人の旧跡であると教えられ、二人の跡を弔います。

月の下で、須磨の海岸で海士少女が二人現れ、汐を汲み、運び、塩屋に帰ってきます。旅僧は、塩屋に一夜の宿を借ります。

旅僧が、松風、村雨の跡を弔っていた話をすると、二人の女性は涙を流し、松風、村雨の幽霊であると名のり、昔、夜汐を汲んでいる海士少女から在原行平中納言に召され、「折にふれたる名」と、「松風、村雨」と名付けられ、行平と過ごした日々を、今も恋いこがれ思います。

白い水衣の装束を着、水桶を持ち、汐を汲む二人の海士少女は、絵として、さも美しいと思います。誰も居ない夜の須磨の海岸で、月の下、白い装束と、赤い汐汲み車は見ているだけで美しい舞台であるべきです。しかし本当に美しいのは、今も変わらず行平を思う心です。松風、村雨姉妹は、今も汐を汲みながら、昔、行平に召された、あの日々を思っているのでしょうか。

行平は、形見として立烏帽子と狩衣を残し、都へ帰り、程なく世を去ってしまいます。「形見こそ今はあだなれ これなくは 忘るる隙もあらましものを」形見も今となっては辛いものです。これがなければ忘れる時もあるだろうに…。残された者にとって、思いは増すばかりです。

松風は、舞台上では、身体に形見の烏帽子と衣を身に着けますが、本当は、執心と言いましょうか「思い」に烏帽子、衣への「思い」が増し重なるのでしょう。考えれば肉体のない幽霊なので当然でしょうが…。
形見を身につけた松風は、「三瀬川 絶えぬ涙の浮瀬にも 乱るる恋の淵はありけり」涙が絶えないので三途の川にも恋の深みがあって渡れないのです。姉の松風は「松」に向かい、行平が立っていると走りより、妹の村雨は、「あさましやその御心故にこそ、執心の罪にも沈み給え…」そんな思いでいるから成仏できないと、松に走り寄ろうとする姉を止め…。姉は「立ち別れ 因幡の山の峯に生ふる 松(待つ)とし聞かば今帰りこん」待つと聞いたなら帰ってくるとの行平の言葉を言い、妹もそうだった、忘れていた、と言い…。二人共涙が溢れます。悲惨な有様です。能では、心が高ぶり、言葉が尽きて、笛が鳴り「舞」になります。「舞」は言葉を超えた「思い」であるべきです。

「松」を「君(行平)」と走り寄り、懐かしい思いに充ち…。気付くと、「松に吹き来る風も狂じて、須磨の高波烈しき夜すがら…。」そこら辺の景色、烈しい風、波を見、「妄執の夢に見みゆるなリ。」風、波が、自分の狂乱の心と思えたのです。「我が跡弔いてたび給え」の声を残し、夜は明け、松風ばかりが須磨の浦に吹いていました。

須磨の浦に行けば、明日も、明後日も、松風村雨の幽霊はいるのでしょう。特に僧侶が通りかかれば、弔ってほしいと、今日も出てくるように思います。

本当に美しいと思うのは、今も変わらぬ、松風村雨の行平への思いです。成仏できず、あわれとは思いますが…。今は長寿社会となり、多くの方が、互に老いるまで、長く共に過ごせる時代となりました。一昔前は、能「松風」を見ながら涙を流している女性の方が、よくいらっしゃったと聞きますが、まだ若くして連れ添いに別れてしまう方も多かったと思います。そのような方には、「松風」が、ご自分の身の上に重なり、落涙されたのでしょう。

もし私が早く死ねば、妻にも同じ様に思われたいものです。

平成23年11月6日 照の会「松風」 上田拓司

瓦照苑 石橋

瓦照苑 石橋
左/上田拓司
右/上田彰敏

文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。

能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。「石橋」に登場する人は、石橋を渡りたいと願いますが、仙人でさえ、あまりのことに畏れ、誰も渡れないのです。

獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。

「獅子は小虫を食わんとても、まず勢いをなす」と言います。その勢いはどれほどでしょうか。仙人でさえも、獅子の勢いにあたったならば命がいくつあっても足りぬと、早々に退散してしまいます。

また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。

石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の次男彰敏も今年二十一歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十四回目となります。彰敏の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として彰敏も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。
本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

平成23年11月6日照の会「石橋」 上田拓司