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第14回 照の会 平成20年

平成20年11月1日

 

瓦照苑 江口

即ち普賢菩薩と現れ…

 諸国一見の旅僧が江口の里で、昔、西行法師が一夜の宿を借りようとしたが、宿の主が貸そうとしなかったので「世の中を厭うまでこそかたからめ、仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだことを思っています。どこからともなく女性が現れ、西行の歌への宿の主の返歌は「世を厭う人とし聞けば仮の宿に心とむなと思うばかりぞ」であり、宿の主は、西行に対し宿を惜しんだのではなく、西行が出家であるから色好みの女性の宿に「心とむな」と諌めたのだと言います。その女性は遊女「江口の君」の幽霊でした。
 江口在所の人に、江口の長の謂れを聞くと、昔、播州書写の開山、性空上人の話を始めます。江口の長が女を連れて舟遊びをしているのを性空上人がご覧になっていたが、目をふさぐと普賢菩薩と現れ、目を開くと江口の長は人間であった。さては江口の長は普賢菩薩であったと言う話でした。
 僧は江口の君の幽霊を弔いを始めようとすると、月澄み渡る河水に遊女が謡を歌う舟遊びが見えます。古の江口の長の舟です。
 「それ、十二因縁の流転は車の庭に廻るが如し…」始めもなく、終りもない無常の有様を歌い舞います。「面白や…」と移って行く、ゆっくりとした序之舞は、永遠に続く無常の中で、人間が思うような時間がなくなってしまうのでしょうか。「思えば仮の宿。」この世は仮の宿である。「心とむな」と人にさえ諌めた我です。帰る江口の君の姿は即ち普賢菩薩と現れ、舟は白象となり、光と共に白妙の白雲にうち乗り、西の空へ行きます。
 昨年、縁あって「縫箔、白地萩ノ摺箔ニ色紙銀杏ノ縫」が手に入りました。焼いた銀箔が古い手法で置いてあるので使用中に銀箔が剥れて装束より落ちてゆき、贅沢とは思いますが大変美しい舞台になるはずです。初めて見た時から「江口」又は「楊貴妃」に使いたいと思っておりました。今回初めて「江口」の後シテ、普賢菩薩に使わせて頂きます。又、前シテには養母妙子が二十五年前に作ってくれておりました「唐織、菱襷向鳳凰模様」「摺箔、白地金砂ニ桜模様」、又後シテの着付には、同じく母が作ってくれておりました「摺箔、白地プラチナト銀銀杏模様」を使用させて頂きます。
 今年は、私の母方の祖母多満子、妻の母ヤスヱ、生母英子の一周忌、養母妙子の二十三回忌です。西行法師が江口にて「世の中を…」と詠み、江口の君が返した「世を厭う…」の二首の歌は、新古今集にありますが、その江口の女性の名は「妙」とあり、偶然ながら母「妙子」と同じです。普賢菩薩と共に、西の空へ、西方極楽浄土へ皆、到ることを願って「江口」を勤めたいと存じおります。

平成20年11月1日 照の会「江口」に向けて
平成20年9月1日 上田拓司

瓦照苑 石橋
上田拓司

瓦照苑 石橋
上田宜照

文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、「江口」の普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。

能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。

本日は半能ですので、後半の獅子が出て来る所のみですが、獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。

石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の長男宜照も今年二十歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十回目となります。宜照の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として宜照も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。

本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

平成20年11月1日照の会「石橋」当日配布パンフレット用 上田拓司

萬歳千秋と舞い納め、
獅子の座にこそ直りけれ。

 仏跡をを訪ね歩いた寂昭法師は、文殊菩薩の浄土である唐・清涼山のふもとへと辿り着きます。山の中へは細長い石橋が架かっており、その先が法師の望む浄土があると言います。法師は意を決し橋を渡ろうとしますが、現れた童子に「名を得給いし高僧たちも、難行苦行の捨身の行にて、此処にて月日を送りてこそ、橋をば渡り給いしに。(中略)行くこと難き石の橋を、たやすく思い渡らんとや、あら危しの御事や。」と橋を渡るのを止めるよう諭されます。童子は橋の由来を語り、橋のたもとで待つよう言い残し消えてゆきます。
 その後、獅子が現れ勇壮な舞を法師に見せて帰ってゆく。
 この度は半能である為、後の獅子の舞の部分のみとなります。
 能楽師は様々な曲を披く事により、一つずつ能楽師としての階段を上がっていきます。
 石橋もその一つであり、お許しを戴き この度披く事がかないました。
 今年成人を向かえ、公私共に「責任」という言葉を自覚しなければならない「節目」の年となります。これまでの二十年を振り返り、様々な先生方、多くの方々に、時には温かく、また時には厳しくご指導戴きました事に対し、感謝の気持ちを忘れず、能「石橋」を務め上げたいと思っております。
 また、これからも父の背中を追いかけ、尚一層 芸道を人生を一生懸命学びたいと思っております。

勧君金屈巵 君に勧む金屈巵
満酌不須辭  満酌辞するを須いず
花發多風雨  花発いて風雨多し
人生足別離  人生別離たる

于武凌「勧酒」にもあるように、「サヨナラダケガ人生」です。これまでの自分と別離し、一成人として また、一能楽師として気持ちも新たに精進いたします。

照の会「能・石橋」に寄せて   上田宜照