撮影:牛窓雅之
起請文 翔入
「九郎大夫判官殿の、討手の大将賜ったり」
源義経が土佐坊に襲われた事は、「吾妻鏡、文治元年十月十七日の條」「平家物語巻十二、土佐坊斬られの事」、その外、源平盛衰記、義経記にも記述があります。
判官、源九郎義経は、平家を滅ぼし功を立てたのに、恩賞もなく、兄頼朝と不和になってしまいます。鎌倉よりは義経への刺客として、内々に土佐坊正尊が上洛してきます。それを義経が呼び出す所から能は始まります。
武蔵坊弁慶は、仮病を使う土佐坊を、是非を言わさず、義経の下へ連れて行きます。土佐坊は、熊野参詣の為に上洛したと言い張りますが、義経、弁慶、等の人々の前で詰問され、土佐坊は起請文(きしょうもん、誓いの文)を書き、読み上げます。「上は梵天帝釈」から始まる文章で、「日本中の神々に誓います。私は討手ではありません。これが偽りであれば来世は阿鼻(無間地獄)に落ちます。」と、中々大層に読み上げます。
現代でも、覚書、協定書など、一筆入れる事は行われておりますが、初めから、読む方も、聞く方も、虚言であると分かっているのでしょうが、土佐坊の器用に免じて、盃が出され、静御前が舞を舞います。静御前にまで「よくよく申せ」と諌められながらも、土佐坊は宿所に帰る事が出来ます。しかし土佐坊の宿所では討入の準備をし、又、義経方も待ちかけ、最後には土佐坊は絡め捕られます。
能「正尊」と言うと、詰問の場の緊迫感、又、特殊な拍子(リズム)で序破急をつけ、節を駆使し謡い上げる「起請文」、特に「起請文」は重い習いになっており、土佐坊が読み上げた後、「もとより虚言とは思えども、文を揮うて書いたる、器用を感じ思し召し、御盃を下さるる。」と相手に言わせるだけの力が必要で、舞台人として「やってみたい」と思う所です。
しかしながら、子供の頃から、やはり楽しみは切組、チャンバラでした。敵味方に分かれて、太刀を振り回し、トンボ、ホトケダオレ、ランカンゴエ、キザハシオチ等、見てのお楽しみでした。暴れ回るので、舞台から落ちかけたりする演者がいると、客席も、楽屋も、舞台にいる人までもがハラハラしたものです。
私が初めて、立衆と呼ぶ、斬られ役をさせて頂いたのが、高校2年生の時でした。トンボを切り、ホトケ倒れをする稽古で、上田能楽堂の2階の床板を割ってしまった事が思い出されます。今回も、私の次男、そして、笠田祐樹と、中学2年生2人に、初めて立衆をさせます。この2人が、充分に勤め、他の舞台でも、斬られる役ならあの人達に、と言われるようになって欲しいと願っております。
平成16年8月 上田拓司