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京都特別公演 令和元年

令和元年9月15日
於:京都観世会館

 

瓦照苑 二人静

瓦照苑 二人静

瓦照苑 二人静

「しづやしづ。しづの苧環 繰り返し。昔を今に なすよしもがな」(謡曲『二人静』)

頃は旧暦1月7日。大和国(奈良県)吉野山の勝手神社では、七草の節句に若菜を神前に供える為、若い女を摘みに生かせる。雪の残る菜摘川の辺にて若菜を摘んで帰ろうとすると、いづくともなく現れた女に声をかけられる。自分の死後を弔ってほしい、と願う女に、菜を摘んでいた女は名前を聞く。しかし、女は疑う人がいれば、貴女に憑いて答えると言って消えてしまう。恐ろしくなった菜摘女はすぐに社へ帰り、神主に事の次第を伝える。しかし、話している最中に「真しからず(現実とは思えない)」と口にした途端、様子が一変し、別人のように話し始める。神主は誰かが憑いていると考え、女に名を尋ねると源義経の愛妾「静」だと答える。神主に静御前ならば舞を舞って見せよ、と促され、神社に収められていた生前の舞装束を身に纏い謡い出すと、同じ姿の静御前の幽霊が現れ、共に舞を舞う。吉野山を義経一行と共に逃げていく時の辛苦、鎌倉で頼朝の前で舞を舞った際の怨みを語り、義経の事も自分の事も全て飛花落葉の理なのだ、と述べて跡を弔うよう願うのだった。

能における動き、所作等を「型」と呼び、これらは全て「型付」というものに書かれています。「型付」は各家で各々差異はありますが、流儀としての大まかな流れや基本の骨組み等は同じなことが多いです。
曾祖父の古い型付け等を見せてもらうと、書いてある量がまず少なく、代を経るに従い覚書き(付け足しのメモ)が多くなってきます。世代を経るに従い、内容が細かく整理されていき、最終的にその文を見れば誰でも同じことができるようにする、これが型付の完成形です。
上田家は能楽師の家として認められて来年で100年です。それでも二人静を上演するにあたって、型付は未完成でした。
二人静というのは、現人と亡霊の相舞が主眼です。これらはツレとシテ、二人の登場人物で写実的に表され、その舞はしっかりと同調していなければいけません。能の型付は結構曖昧に書かれていますが、こと二人静の相舞ではそういうわけにはいきません。その何もかも、手足の一挙一動を指示する型付けが当家のものは未完成のままでした。今回はこれを全面的に書き直し、上演します。もっとも、これで型付が完成かどうかの判断は私にはできません。当日ご覧いただいた方に判断してもらうのも良し、何より、後世の者が、今回の型付けを見て、私のように「これは未完成だから、完成させる!」と息巻いているのを想像すると何だか面白く思えて、完成と決めつけるには勿体ない、そんな気がするのです。

上田顕崇
照の会京都特別公演「二人静」によせて