
「無為の儀が然るべかろうずると存じ候。」
武蔵坊弁慶と聞くと、荒法師で強力の持ち主と思われる方も多いと思います。しかし、能に登場する武蔵坊弁慶は、それよりも、考え、策を練る知将というイメージが強いように感じられます。
能「安宅」の武蔵坊弁慶も、山伏に姿を変えて奥州へ逃げ延びようと安宅の湊まで来た時、山伏に限って止める新関所がある事を知り、その関所を通るのに、一行の中には、武力で打ち破り通ってしまえという意見を抑え、「御出で候はんずる行末が御大事にて候。ただ何ともして無為の儀が然るべかろうずると存じ候。」と、これから先の事を考えると何事もなく通るのが良いと策を練り、先年平重衡によって焼かれた東大寺大仏殿建立の為の勧進と偽り、義経には強力の姿で、笠で顔を隠し、重い荷物を持たせ、隠して通ろうとします。
関所では昨日も山伏3人まで斬ったと言われ、最後の勤行をしてから尋常に誅されようと全員で勤めをする言葉は、尊い山伏を殺したならば罰が当たると言うもので、関守はそれならば勧進帳を読めと言います。今日ならば寄付集めの趣意書と言うところでしょう。元より勧進帳など持合わせてなかったので、即興で文章を読み上げ、「一紙半銭の奉財の輩は、この世にては無比の楽に誇り当来にては数千蓮華の上に坐せん」少しでも寄付をするなら、この世でも、あの世でも良い事ばかりである。その勧進の山伏達を誅するなど、とんでもない事とついに関所を通る事を許されます。ところが関所の中に義経を見知っているものがおり、義経が止められ、「一期の浮沈極まりぬ」と皆が刀に手をかけた時にも弁慶は「慌てて事を仕損ずな」と制止し、義経に似ていると聞いた弁慶は、お前のせいで疑いを受けたと強力姿の義経を金剛杖で打ち据え、それでも通さぬと言う関守に最後は強力の持つ荷物を取上げようかとの事かと反対に言いがかりをつけ、皆で押し寄せ、ついに関所を通り抜けます。
関所を通り皆がようやく一息つくと、弁慶は義経を打ち据えた事を詫び、皆と現在の不遇を嘆きます。
またしても関守が、詫びと言って酒を持ってきます。弁慶は皆に「心なくれそ」と戒め、やがて奥州へと落ち延びて行きます。
今回は「延年之舞・貝立・貝付」の小書演出でさせて頂きます。「延年の舞」は、寺院芸能「延年」の所作を取り入れたと言われてます。舞になる前の詞章に「もとより弁慶は三塔の遊僧、舞延年の時の若」とありますが、舞の途中でエイと掛け声をかけて跳び、又、舞の緩急もあり、私自身、弁慶の舞とはどんなものかと考えさせて頂いております。
「貝立・貝付」は山伏達が、いざ出発するという時に法螺貝を吹いて合図するのをやります。いかにも山伏らしく、そして、さあ行くぞという気にさせてくれる演出です。
「安宅」に、人生何事も、もうこれまでと諦めては終わりだと諭されているように感じております。
安宅 勧進帳 延年之舞 貝立貝付 シテ 上田拓司
三輪への想いは強くあるが今は通える道もなく、道を変えて今日もまた檜原へと詣でるのです。
前シテ冒頭の謡です。地謡と共にこれを三度謡い重ねて「三輪白式神神楽」は始まります。
平安初期の高僧・玄賓僧都が大和三輪山の山陰に庵を構えている。その僧都のもとへ、毎日樒と閼伽の水を捧げにくる女。その日もまた同じようにやって来て、罪を助けて欲しいと僧都に願います。そして、秋の夜寒になったので、衣を一重賜りたいと言います。僧都は衣を渡し「ところであなたはどこに住む人なのか」と尋ねると、三輪の山本近くに住む女だと答え「尚も不審に思われるなら、杉を目当てにたずね来てください」と言い、消えるが如くにその姿はなくなりました。
やがて僧都は里人から神前の杉の木に僧都の衣が掛かっていたと聞き、三輪山の方へ行ってみると、たしかに杉の木に女に与えた衣が掛かっていました。立ち寄り見てみると、衣の褄に金色の文字が…
「山田守る そほず(案山子?僧都?)の身こそ悲しけれ 秋果てぬれば 訪ふ人もなし」
そこは正しく三輪の御神木の杉で、やがて三輪明神が現れ、三輪に伝わる神婚譚を語り、同一体という天照大神の岩戸隠れの様や八百万の神々の神楽の様を再現して見せるのですが、やがて夜が明け神の姿は何処ともなく消え、僧都の夢は覚めました。
今回、この「三輪」の重い習いである「白式神神楽」という小書を初演させて頂きます。この小書は、江戸の末に京都の片山家により作られたものです。関白鷹司政通公より還暦祝賀能にて「三輪 誓納」を舞うよう所望された五世片山九郎右衛門豊尚氏が、「三輪 誓納」は観世太夫の一子相伝なのでと辞退し、その折に新たに創作した小書です。それ以来片山家のみの小書として「当主一代に一度のみ」と大事に扱われ、本来なら私如き者が舞わせて頂けるものではないのですが、近年では観世流の小書として扱われる様になり、今回お許しを得舞わせて頂くこととなりました。
文字通り、後シテの出立ちが、白の着付けに白大口・上には白の狩衣と、白一色の姿で出て参ります。その姿を表す場面の地謡も、通常は「ちわや掛け帯引き替えて ただ祝子が着すなる 烏帽子狩衣 裳裾の上に掛け 御影あらたに見え給ふ かたじけなの御事や」と巫女に神が憑いたとの詞章を、ただ「神体あらたに見え給ふ かたじけなの御事や」と神体そのものと変わり、作り物の引回しが下されると、白一色の神体が榊の枝を膝に立てて現れる、なんとも神々しく、まばゆいばかりのシーンとなります。
神婚譚を語るクセのあと、「ちはやぶる」と榊を頂き左右に振りつつ立ち回る『イロエ』、閉ざされた岩戸の前での八百万の神々の舞を模したといわれる『神楽』を舞います。この『神楽』の冒頭が、通常にはない『摺拍子』と言われる特殊な囃子の手組で始まります。笛の一管のうちに、大鼓・小鼓・太鼓の順に掛け声なしに一粒ずつ打つのみ。その間にシテも足拍子をひとつ。岩戸の前の暗闇の如く、また秋の夜の三輪の静寂の如く、漲る緊迫感のうちに舞い始めるのです。その後は、囃子もノリ、シテも常とは違う型となり目を離せぬ場面が続き、やがて三輪明神は橋掛かりで袖を巻き上げ、明けゆく空を眺めそのまま幕へと消えていく…。
『白式神神楽』は、〝白〟という色を通して、神の清廉さを、鮮明に美しく描き出されてるのかと思います。
某タレントさん曰く「白って200種類あんねん」と(笑)今日のお客様にどんな〝白〟を感じて頂けるか?より清らかな〝白〟を感じて頂けることを信じ、皆様を三輪の里へとお連れしようと思います。
三輪 シテ 浦田保親