撮影:牛窓雅之
巴御前の事績は平家物語「木曽最後」や「源平盛衰記」にみられます。
木曽義仲の愛妾として、また旗揚げ当時から義仲につき従い各地を転戦し、平家方を苦しめた武将でもあります。
能「巴」のイメージを思い浮かべる際、多くの人は「愛」や「忠義」という言葉が思い浮かぶでしょう。
稽古を始めた当初、「忠誠心」、「愛」故に、自らを犠牲にして主君・義仲の為に何かを成し遂げようとする巴の献身的な「自己犠牲」は、私のような「野心」の強い独りよがりな人間からすると、中々に理解しがたいものでありました。
しかし乍ら、稽古を重ねるうえで、その根底には人生において「こう在りたい」といった「自らの存在意義」を追い求めてきた過程があったのではないか?自らの思い描く人生、生きる意味を追い求め、それが結果的に義仲への「献身」へと繋がっていったのではないか。ふと、そのように思うようになりました。途端に妙にこの曲に愛着がわき、今まで思い至らなかった事が見えてきたように思います。
曲中、巴御前は常に自分より主君「義仲」の菩提を弔ってくれるよう僧に頼み続けますが、最後の最後で自らの執心を弔ってくれるよう、僧に頼み消えてゆきます。
もしかすると、自らの「愛」や「忠義」も義仲に対する「執着」から生まれた「業」であると悟ったのかもしれません。そして、それを悟った時点で恐らく、この巴御前の霊は自らの「執着」という「業」を払い、成仏への一歩を始めて踏み出せたのではないかと考えます。
巴御前の「愛」や「忠義」の奥にある「人の業(ごう)」「執着心」という言葉を想い、能「巴」を心して務めます。
七百年の伝統と格式がありながらも、限られた能の演出表現の枠の中で、如何に私自身の解釈、想いを一つ一つの所作、謡に入れ込む事が出来るか・・・。私の一生の課題でもあり、それこそが私の「欲」から生まれでる「業」であるのだろうと思います。
巴御前の年齢は、文献によりまちまちですが概ね二十八歳〜三十歳。丁度、私と同年代にあたります。曲中で「業」を払い悟りへの一歩を踏み出したであろう巴御前。同じ年頃でありながら、「欲」に囚われ「業」を払えない自分。能「巴」を務めるにあたり、改めて自らの「業」の深さと人としての器の小ささを感じさせられる事となりました。
また、この度、瓦照苑はオリジナル一筆箋を製作いたしました。瓦照苑所蔵の装束をそのまま一筆箋に写し込んだデザインであり、今回の能「巴」で使用する「白地銀白金箔銀杏吹寄文様胸箔」も一筆箋のデザインに採用しております。併せてご覧いただき、是非ともお買い求めいただければと存じます。
巴 シテ 上田 宜照
撮影:牛窓雅之
「山めぐりするぞ苦しき」
「山姥とは、何者だろうか。」と考えてみました。
日が暮れたからと、都の遊女、百万山姥の一行に宿を貸した山姥は、百萬山姥に「山姥の歌」を謡えと所望する時、「その為にこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ」と言います。自分で日を暮らす事が可能なようです。
百萬山姥がこの「山姥の歌」によって名声を得たのに、「真の山姥」の事を全く気にかけない事に「恨み申しに来りたり」と言い、又「謡い給いてさりとては、わが妄執を晴らし給え」と言います。我々人間と変らない心の持ち様です。
「山姥の歌」の最初は「よし足引の山姥が、山廻りするぞ苦しき」です。「それにしても、山姥が足を引きずりながら、山を廻るのは苦しい」と言うことでしょうが、「よし足」は「善悪(よしあし)」であり、「山廻りする」は「輪廻転生を繰り返す事」であり、我々人間も同じですが、生きていく上で「善悪」の概念に縛られ、生まれては死に、又生まれては死ぬ事を繰り返し、果てのない事で、正に「苦しき」としか言いようがないかもしれません。この「よし足引の山姥が、山廻りするぞ苦しき」を山姥は「あら面白や候」と言います。
山姥は「悪」について「寒林に骨を打つ、霊鬼泣く泣く前生の業を恨む」(墓場で鬼が屍を打っている。聞くとその屍はその鬼の前世であり、その前世の自分が悪業を重ねた故に、今生は鬼に生まれてしまった事を嘆いている)、そして善について「深野に花を供ずる天人、返す返すも幾生の善を悦ぶ」(自分の墓で花を供えている天人がいる。聞くと前世で善行を重ねた故に、今生は天人になった事を悦んでいる)と言います。しかしすぐに「いや、善悪不二。何をか恨み、何をか悦ばんや」と絶叫するように思い直します。人間同様、迷いの多い事です。
さて人間は、山姥をどう思っているんでしょうか。
百萬山姥と同道の都の男(ワキ)は「山姥とは山に住む鬼女とこそ曲舞にも見えて候へ」と言います。それを聞いた山姥は「鬼女とは女の鬼とや」と言いますが、二十数年前、山姥初演の時に「笑うように謡え」と習った言葉です。山姥としてみれば「鬼女」と言われ、「馬鹿な事を言うな」ってなところでしょうか。
百萬山姥(ツレ)は「真の山姥」に「恐ろしや」と言います。山姥は「我にな恐れ給いそ」と言いますが、百萬山姥は又「この上は恐ろしながら」と、震え上がります。山姥が目の前に現れれば当然でしょう。
所の者(間狂言)は、常の演出では、「どんぐり」「トコロ」「古い木戸」が山姥になると言いますが、今回は、間狂言に「卵生」の小書(特殊演出)をつけております。人間等は「胎生」(赤ちゃんとして生まれる)ですが、山姥が「卵生」(卵から生まれる)ならば、いよいよ何者かわかりません。
さて、「山姥の歌」では「よし足引きの…」から始まり、山姥が住む山の有様を、静寂に、深く、大きく謡い、そして「そもそも山姥は…」と、山姥は生まれた所も、住んでいる所もわからない、行けない所もない。人間ではなく、仮に姿を「鬼女」となって目の前に来たんだ。しかし善悪不二、邪正一如と思えば、色即是空、仏法と世法、煩悩と菩提、仏と衆生、人間と山姥、みな表裏であり別のものではなく、柳は緑、花は紅である。みなそれぞれに「ある」。樵夫や織女を助け、寒い夜に砧を打ち、みな山姥の業である…と謡われます。
前半、百萬山姥が、請われるままに謡い出そうとすると、山姥が「夜すがら謡い給わば、その時我が姿をも、あらわし衣の袖つぎて、移り舞を舞うべし」と言っていなくなりますが、その言葉の通り、「山姥の歌」に山姥は杖を放し、扇を持って「移り舞」を舞います。年月の願いであった、「山姥の舞」を舞うのです。これを舞っている時、山姥は常の心ではなく、さぞ舞に入り込み舞っている事でしょう。
都に帰ったなら、これを世語りにして伝えるよう言うとすぐ、「思うはなおも妄執か」やはり、我々と同じ、迷い多き山姥です。まだまだこれからも「山廻り」を苦しみながら続けるのでしょう。
そして「足引きの山廻り」が続きます。「立廻」と呼んでますが、謡がなくなり、囃子の演奏によって舞台を二廻り程するだけですが、深遠な演奏で、鹿背杖(鹿の背中を連想させるような形の杖、葉がついているのは山の生木の枝を折ってそのまま使っているから)をつき、それこそ終わりのない輪廻転生を繰り返している様子にも思えます。謡を終って「立廻」になるのではなく、謡、即ち言葉では言い表せない「気」を、言葉が尽きて笛が鳴り出す。それが「立廻」です。
「立廻」がすみ、山姥は「あら、御名残惜しや。暇申して帰る山の…」となりますが、本当に名残惜しいと思った事でしょう。「花を訪ねて山廻り」「月見る方にと山廻り」「雪を誘いて山廻り」「廻り廻りて…」との山廻りは、四季それぞれの山を廻り、又、一生涯の中で色々な事があるとも思え、又、輪廻転生を繰り返す中で色々な一生一生を送るとも思えます。
私もあと三ヶ月程で還暦ですが、山姥初演の、若い頃には感じなかった「山廻りするぞ苦しき」の言葉を感じるようになったと思います。
山姥・白頭・卵生 シテ 上田 拓司