阪神文化創造会議 会報誌Hcc115号への寄稿

「思いつき」と「伝統」

 先日、ある能を演じる前に、インタビューを受けましたが、その中で、その能を演じるにあたり、「役作り」ということで、気をつけていることは何ですか、という質問がありました。私にとっても急な事で、上手い答えが見つからず、まとはずれな返答をしてしまいました。もっとも後日、その番組を見ると、上手く編集して下さっており、安心させていただいたのですが・・・。
 この経験は、私にとって、少なからず、ショッキングな出来事でした。「役作り」という質問を受けた事が初めてであった為、答えの用意がなかったという事もあると思います。しかし、そのこと自体、「役作り」について、これまで考えなかったのかと思い、能の演劇性という事に、大きな不安を抱きました。
 この役は、こんな人だから、こういう風に演じてみよう、こうするのが良いだろう、という事は、私たちには許されません。ちょっとした「思いつき」から、こうやってみるという事はないのです。 しかし、実際には、私たちの方法で、「役作り」に取り組んでいます。私たちには、謡本があります。これは、台本であり、一字も違えず、声にしなければなりません。また、型付があります。いつ、どこで、何をするか、決まっています。また、手付があります。囃子がいつ、何を打つか、決まっています。はじめは、習ったとおり、間違わずにやるだけで精一杯です。この段階を世阿弥は「無主風」と呼んでいます。しかし、次第に、何故、音が上がるか、何故右へ向くか、など、演出の基を考えるようになります。今の形になった三日前を思うのです。すると、先人たちが、どのように考え、能を作ってきたかが、わかります。何百年もの時の人々に、教わる事が出来るのです。これが、「伝統」であると信じます。これを基に「役作り」をするのです。
 能の大きな要素は、「空間の充実」と「心の成長」です。「空間の充実」は技術面の事ですが、「心の成長」は、能の目標です。「自分がどう考えるか」という事は、もちろん大切なのですが、「人はどう考えるか」という事が、それ以前にあるのです。人とは何か、大きな世界の中で調和のとれた姿とはどんなものか、という事を、ゆっくりと、何回も何回も、時間をかけて考えさせてくれる。能とはそんなものであると思います。 いつの時代にも、とりわけ現代において、忘れてはならない事が、そこにはある様に思います。