能に触れるという事について

私を含め能楽師と呼ばれる人々がおります。又、謡曲、仕舞、囃子、狂言を習っておられる方も多くおります。観能の好きな方もおられる事でしょう。その人々にとって、能とは何なのでしょうか。何故、能をやっているのでしょうか。
 私は、父も、又その前も能をやっており、子供の頃より舞台に立ち、現在能楽師という名の職に就いております。子供の頃は、舞台に出ると、「カワイイネ」「上手ネ」とおだてられ、ご褒美を頂き、機嫌良く舞台に出ます。二十歳前頃より、「上手になりたい」「美しくなりたい」「力強くなりたい」「人に認められたい」等の思いになり、技術ばかりを追求します。その内に色々な能を演じる機会が増えてきますと、「こういう気持ちで」「こう表現して」と考える様になります。ある時、日頃の生活の中で、能に出てくる話が多い事に気がつきます。すると、能の様々な登場人物が、とても身近に感じます。
 実際の人生において、どれ程他人の気持ちを察する事が可能でしょうか。我儘に振舞う事もあれば、他人の我儘に憤る事もあります。しかし、その我儘は、本人にとっては、正しい事なのです。
 世阿弥の言う「能を知る」という事が出来れば「人を知る」という事が出来るのではないでしょうか。「弱法師」のシテ俊徳丸、ワキ高安通俊、間狂言通俊の下人、舞台に登場しませんが、無責任な第三者である人々。この人々の生き様を見て、何か感じる。これが能に触れる事だと思っております。
 人間社会の一員として、豊かな心を持ち、現実社会を浄土に近づける様、皆願っています。その為に色々な教えがあります。親子の愛情、学校等の教育、宗教、芸術…。能もその一つであるでしょうし、又、あるべきです。只、能の雰囲気が好きといわれる方も、我々能楽師にとって、大変ありがたいお客様ですが、是非、能に触れる機会があります様に願います。
 最後になりましたが、微力ながら、「照の会」が、将来、すばらしい社会をつくってくれる、子供達の力になれる事を嬉しく思うと共に、ご助力頂きました方、ご来場頂きました方に、感謝致します。

平成7年