「面掛」について

 私ども、能楽師と呼ばれる者には、生涯の中に、これが「区切り」と感じる事が、何度かあります。特に大きな「区切り」の一つが「面掛(めんかけ)」です。
 私共の三男、顕崇の事を思い起こしますと、まず「誕生」。二歳で「初舞台」、八歳で「初シテ」。そして今年、十六歳で「面掛」。
 能は分業制になっており、上田の家は「シテ方」で「シテ」「ツレ」「地謡」「後見」を担当します。中でも「シテ」は能の主役であり、祖父の書付には「太夫」とも書かれており、座長がする役でありました。その「シテ」を初めて勤めるのが「初シテ」です。ただ「子方」の時代ですから、能面は使いません。そして今回初めて、能面を掛けます。これが「面掛」です。
 それ以外にも、四、五歳の頃でしたか、初めて長時間座る「百万」の子方で、申合(リハーサル)が終わった後、ワキの福王和幸さんから「子方が泣声で『イタイヨー、イタイヨー』と言ってたよ」と言われ、「舞台で絶対泣いたらダメ。しゃべってもダメ」ときつく言い聞かせたところ、本番で客席に母親を見つけ、「泣いたろか」というような顔をし、母親に無視され、ため息をついていたのに、終わって幕に入ったとたん「僕泣かなかったよ」と大きな顔で言った事や、「花筐」の子方の時、舞台で眠ってしまい、シテの観世宗家から、親を含め、周りの大人達が叱られた事など思い出します。外にも舞台で泣いたり、眠ったり、親は心配したり、困ったりすることが何度もありました。
 又、子方当時は、年齢に比べ、身体がずいぶん小さかったので、又、なかなか透明感のある声が出ておりましたので、「隅田川」の子方も11歳頃まで、よくさせて頂いており、「作り物の中でヒマだったから、謡を聞いていると、かわいそうで、自分が謡う時に涙が出そうになる」と言っていました。又、「仲光」の「幸寿」の役を三回させて頂きましたが、「アホの為に死ぬ役はイヤだ」と言ってみたり、他の子方とは違う事を言う子でした。
 又、舞台以外でも、幼少の頃から、海水浴に行って沖で行方不明になったり、スキーに行って山で行方不明になったり、流氷を見に行って氷の海に落ちたり…。大人の姿を見ることが出来、神仏、先祖の御霊に、心より感謝しております。
 これまでいろいろな事がありましたが、お力添えを頂きました方々に感謝致しております。今後もいろいろな事があると思いますが、この「面掛」にて、大人の中に交じり「シテ方」として出発させて頂きます事を、親として喜んでおります。
 長男宜照、次男彰敏、長女絢音には、それぞれ祝いの「高砂」「賀茂」「合浦」、そして顕崇本人には、めでたい「岩船」を、舞わせます。

    平成21年11月7日 第15回「照の会」 (文、上田拓司)
 

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初舞台を前に、これから先の長い能楽の加護してもらおうと長田神社にお参りした時の写真 
平成7年1月15日

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平成7年5月9日
仕舞「
猩々」にて初舞台。

 
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