よろぼし

盲目ノ舞

 高安の通俊は、人の讒言によって、一子の俊徳丸を追放したが、余りに不憫なので、天王寺にて一、七日(七日を一回)の施行をする。又俊徳丸は、悲しさの余り、目を泣き潰し、盲目になって、この施行の席へ来合わす。
 通俊は、よくよく見ると、我が子である事に気付く。しかし、人目を憚り、夜になってから名乗る事とし、日想観(入日を心に観想する事)を拝む事を勧める。
 俊徳丸は、入日の沈み行く難波の西の海に向かい、西方極楽浄土を拝む。そして、昔、よく見た、辺りの景色を思いやる。
 夜になって、通俊は父と名乗り、俊徳丸を伴い、高安へ帰る。
 「出入の月を見ざれば明暮の、夜の境を、えぞ知らぬ。…深き思ひを、人や知る。」俊徳丸の第一声です。月の出も、月の入も見えないので、夜と昼の境もわからない盲目を言っています。私の深い思いを誰か知ってくれるか。誰もわからないだろうと。そして「生をもかへぬこの世より、中有の道に迷うなり。」(中有とは、中陰とも言い、死後、次の生を受けない間の事で、これが満つる時が満中陰)生きている間から、死後と同じになってしまったと、嘆きます。
 この様な人に心の支えがあれば、何と清らかになる事でしょうか。俊徳丸には、それは仏の教えであったと思います。唐国の一行阿闍梨が果羅国へ流された時でも、闇穴道(罪人の果羅へ赴く道の名)が、九曜星に照らされた事を思いながら天王寺まで歩み、又、折節、梅の花が俊徳丸の袖に散りかかると、その香に風流を楽しみながら、草木国土悉皆成仏(非情の草木でも成仏する)を知らせる御法の施行と感じ、人が(自分も)その仏の大慈悲に洩れる筈がないと思います。そして日想観にて、天王寺の西門、石の鳥居より、極楽の東門を拝みます。俊徳丸は、何を拝んだのでしょうか。我が子を目前にして、人目を気にする父、そして、日頃多忙な我々は、この様に素直な心を持てるでしょうか。通俊も、俊徳丸の言葉を、「げに言い捨つる言の葉までも、心(福王流は情)ありげに聞ゆるぞや。」と聞いています。
 西方へ向かうと、難波の西の海(大阪湾から瀬戸内海)が広がり、「入日の影も、舞ふとかや。」と言います。夕日が波に揺られて、キラキラ輝く様を言っているのでしょうか。それとも、俊徳丸は盲目なので、彼岸の中日には日が回転しながら西に入るとの言い伝え、を言っているのでしょうか。何れにせよ、俊徳丸には、その景色が思い出された事でしょう。「あら面白や、我、盲目とならざりし先は、弱法師が常に見慣れし境界なれば、…」目が見えていた時には、よく見ていた景色でありますから、それを一つ一つ思い出す内に、終に「おう。見るぞとよ、見るぞとよ。」と、本当に見えた(気になった)のでしょう。どれ程嬉しかった事でしょうか。
 それ故、現実に、彼方この方と歩き回って、人に行き当たり、転んでしまった時の落胆は、「今は狂い候はじ。今よりは更に狂はじ。」もう二度と嫌だと思う程であったと思います。
 夜になり、父が「我こそは、父、高安の通俊よ。」と名乗ると、「親ながら恥かしとて、あらぬ方へ逃げ行けば、…」俊徳丸は、どの様な気持ちだったでしょうか。「盲目の舞」の時には、クリ、サシ、クセの部分を省略する事がよくありますが、その部分には、難波の寺(天王寺)の鐘の音が、異浦々まで響き、仏の誓いが普く満ちて、海も山も、皆成仏の姿であると言っています。父が追い着いた時、その難波の寺の鐘が鳴ります。この親子の心には、それぞれの音が聞こえたと思います。

(「」内は、観世流大成版の文字使いを使用)