芭蕉へ▽
  公演チラシ▽
第23回 照の会 大阪公演
平成29年11月4日   
於:大槻能楽堂

 
 「土蜘蛛」は鬼が出て来て戦い、動きも多く、「芭蕉」の「靜」とは対照的に「動」の曲です。謡のお稽古をされる方は、初心の頃にお稽古をされる曲で、よく上演もされる能です。
 今回、善竹隆司氏の新作の間狂言でさせて頂きますが、ご存知のように能楽に新作は珍しく、滅多にございません。今回、シテ方観世流宗家、狂言方大蔵流宗家にお許しを頂き、上演させて頂きます。
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 「土蜘蛛」「紅葉狩」等、鬼が登場し退治される能は、征服した側からの視点で作られております。「大江山」は、ほんの少し鬼側の思いを述べる言葉が入っておりますが、能の創世記、能のパトロン達は皆、征服した側の子孫の前で上演するので、当然、現政権に対する悪は、退治されるべきものであったと、容易に想像出来ます。
 「土蜘蛛」の鬼は、古事記、日本書紀の「神武の東征」により、征服された土蜘蛛族の生き残りかな、と私はとらえております。そう思えば、征服された後、不満を抱き続けて政権の転覆、又は混乱を望んだ人々を鬼と表現し、退治したと言う話にしてあるのかなと考えられます。今回の新作の間狂言は、土蜘蛛側からの視点を考慮して、征服された側の思いを、あまりしつこくなく入れようと、善竹隆司氏と相談し、胡蝶も土蜘蛛側である事も少しほのめかそうと作られております。「土蜘蛛草子」には、これが胡蝶かなと思われる「者」が登場します。能の胡蝶とは全く似ても似つかない化け物ですが、神楽では、胡蝶が薬と称し、頼光に毒を運んでいる事になっているようです。考えてみれば蜘蛛も蝶も「虫」の仲間でしょうから、さもありなんと思います。そう考えれば、現行の「土蜘蛛」の胡蝶が常座(舞台入口)から「御心地は何と御入り候ぞ」、少し後、土蜘蛛が一ノ松(同方向少し後)から「御心地は何と御座候ぞ」と頼光に言葉をかけるのも、意味ありげに感じられまし、「色を尽して…」の言葉も、意味をそのまま取れると思います。又、狂言なので、面白く作ろうという事で、敵が攻めてくるので、巣を投げる練習をしようとしますが、なかなか上手く行かないというところも楽しんで頂きたいと思います。
 
 この新作間狂言が、今後何百年と上演されるようにと、願っております。「土蜘蛛」は鬼が出て来て戦い、動きも多く、「芭蕉」の「靜」とは対照的に「動」の曲です。謡のお稽古をされる方は、初心の頃にお稽古をされる曲で、よく上演もされる能です。
今回、善竹隆司氏の新作の間狂言でさせて頂きますが、ご存知のように能楽に新作は珍しく、滅多にございません。今回、シテ方観世流宗家、狂言方大蔵流宗家にお許しを頂き、上演させて頂きます。

 「土蜘蛛」「紅葉狩」等、鬼が登場し退治される能は、征服した側からの視点で作られております。「大江山」は、ほんの少し鬼側の思いを述べる言葉が入っておりますが、能の創世記、能のパトロン達は皆、征服した側の子孫の前で上演するので、当然、現政権に対する悪は、退治されるべきものであったと、容易に想像出来ます。

 「土蜘蛛」の鬼は、古事記、日本書紀の「神武の東征」により、征服された土蜘蛛族の生き残りかな、と私はとらえております。そう思えば、征服された後、不満を抱き続けて政権の転覆、又は混乱を望んだ人々を鬼と表現し、退治したと言う話にしてあるのかなと考えられます。今回の新作の間狂言は、土蜘蛛側からの視点を考慮して、征服された側の思いを、あまりしつこくなく入れようと、善竹隆司氏と相談し、胡蝶も土蜘蛛側である事も少しほのめかそうと作られております。「土蜘蛛草子」には、これが胡蝶かなと思われる「者」が登場します。能の胡蝶とは全く似ても似つかない化け物ですが、神楽では、胡蝶が薬と称し、頼光に毒を運んでいる事になっているようです。考えてみれば蜘蛛も蝶も「虫」の仲間でしょうから、さもありなんと思います。そう考えれば、現行の「土蜘蛛」の胡蝶が常座(舞台入口)から「御心地は何と御入り候ぞ」、少し後、土蜘蛛が一ノ松(同方向少し後)から「御心地は何と御座候ぞ」と頼光に言葉をかけるのも、意味ありげに感じられまし、「色を尽して…」の言葉も、意味をそのまま取れると思います。又、狂言なので、面白く作ろうという事で、敵が攻めてくるので、巣を投げる練習をしようとしますが、なかなか上手く行かないというところも楽しんで頂きたいと思います。
 この新作間狂言が、今後何百年と上演されるようにと、願っております。

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撮影:牛窓雅之