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しゃっきょう

平成25年 照の会
 
文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、「江口」の普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。

能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。

本日は半能ですので、後半の獅子が出て来る所のみですが、獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。

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上田拓司

石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の三男顕崇も二十歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十六回目となります。顕崇の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として顕崇も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。

本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

を観世宗家の許ヘ内弟子修行にやりました。暫くは関西の舞台へは上がらせていただく事は、ほとんどないでしょうが、帰って参りました時には、是非御支援を頂きたく、重ねてお願い申し上げます。

 

平成25年11月9日照の会「石橋」  (顕崇披き)

         当日配布パンフレット用

                   上田拓司

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左/上田拓司  右/上田顕崇

平成23年 照の会

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文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。

能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。「石橋」に登場する人は、石橋を渡りたいと願いますが、仙人でさえ、あまりのことに畏れ、誰も渡れないのです。

獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。

「獅子は小虫を食わんとても、まず勢いをなす」と言います。その勢いはどれほどでしょうか。仙人でさえも、獅子の勢いにあたったならば命がいくつあっても足りぬと、早々に退散してしまいます。

また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。

石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の次男彰敏も今年二十一歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十四回目となります。彰敏の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として彰敏も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。
本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

     平成23年11月6日照の会「石橋」

           上田拓司

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左/上田拓司
右/上田彰敏

平成20年 照の会

文殊菩薩が乗っている獅子を、絵や像で見る事がありますが、この文殊菩薩は、「江口」の普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇佛として強い信仰を受けている菩薩です。

能「石橋」では、石橋を渡ると文殊の浄土ですが、その石橋は自然に出来た橋で、その表面は苔で滑りやすく幅は一尺にも足らず長さは三丈あまり、雲の上から滝が落ち、下は千丈余で、昔から名を得た高僧でもこの所で難行苦行の末、ようやく橋を渡るような所です。

本日は半能ですので、後半の獅子が出て来る所のみですが、獅子の登場前に「露之拍子」と呼ぶ所があります。静寂の中で太鼓と小鼓のみで、上の方から露が落ち、あまりの谷の深さに、上で露が落ちる音(太鼓)と、谷底に落ちた音(小鼓)に時間差があります。人間が気安く行く事が出来ない山の中の雰囲気を感じて頂きたいと思います。霊獣「獅子」は、そのような所に居るのでしょう。また子供の頃に祖母から「獅子は子を千尋の谷に蹴落とす」話を聞かされ、石橋の「呂の休息」と言われる所を教えられ、子供心に不思議に納得した事を思い出します。これは子供の頃の私同様に、演能中に探してみて下さい。

石橋は、能の中で「重い習い」とされており、私共の長男宜照も今年二十歳になり、観世宗家の許しを得て披かせて頂く事となりました。私が披かせて頂いたのが十八歳の時で、今回、赤獅子、白獅子合わせて四十回目となります。宜照の稽古を見ながら私の披きの時も、私の父がどう思っていただろうかなどと想像しております。今回を最初として宜照も経験を積み、「石橋」を考えていってほしいと思っております。

本日ご来場頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また、親子ともども、今後とも皆様の御支援を頂きたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

平成20年11月1日照の会「石橋」

         当日配布パンフレット用

                     上田拓司

上田拓司

萬歳千秋と舞い納め、
獅子の座にこそ直りけれ。


 仏跡をを訪ね歩いた寂昭法師は、文殊菩薩の浄土である唐・清涼山のふもとへと辿り着きます。山の中へは細長い石橋が架かっており、その先が法師の望む浄土があると言います。法師は意を決し橋を渡ろうとしますが、現れた童子に「名を得給いし高僧たちも、難行苦行の捨身の行にて、此処にて月日を送りてこそ、橋をば渡り給いしに。
(中略)行くこと難き石の橋を、たやすく思い渡らんとや、あら危しの御事や。」と橋を渡るのを止めるよう諭されます。童子は橋の由来を語り、橋のたもとで待つよう言い残し消えてゆきます。
 その後、獅子が現れ勇壮な舞を法師に見せて帰ってゆく。
 この度は半能である為、後の獅子の舞の部分のみとなります。
 能楽師は様々な曲を披く事により、一つずつ能楽師としての階段を上がっていきます。
 石橋もその一つであり、お許しを戴き この度披く事がかないました。
 今年成人を向かえ、公私共に「責任」という言葉を自覚しなければならない「節目」の年となります。これまでの二十年を振り返り、様々な先生方、多くの方々に、時には温かく、また時には厳しくご指導戴きました事に対し、感謝の気持ちを忘れず、能「石橋」を務め上げたいと思っております。
 また、これからも父の背中を追いかけ、尚一層 芸道を人生を一生懸命学びたいと思っております。

勧君金屈巵 君に勧む金屈巵
満酌不須辭  満酌辞するを須いず
花發多風雨  花発いて風雨多し
人生足別離  人生別離たる

 于武凌「勧酒」にもあるように、「サヨナラダケガ人生」です。これまでの自分と別離し、一成人として また、一能楽師として気持ちも新たに精進いたします。

照の会「能・石橋」に寄せて   上田宜照

上田宜照

平成15年2月1日 伊丹市民能

平成11年4月29日 第4回賀茂川荘薪能