平成21年11月7日 照の会 

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 能をする者にとって、「ソトバ」は特別な曲です。「卒都婆小町」は親しみをこめて「ソトバ」と呼びます。「百歳に一歳足らぬ九十九髪」(ももとせにひととせたらぬつくもがみ)と謡いますが、九十九歳の老女になりますので、「卒都婆小町」の類いの数曲を「老女物」と呼び、重い習いの曲としております。
 十代の終り頃、父が稽古する横におり、又三十歳の頃に稽古を受け、自分でも出来るなどと思い、是非とも早い機会に、若い体力がある内にやってみたいと考えておりました。「ソトバ」は重い習いの曲なので、その頃には演能の御許しなど夢のまた夢です。若い体力のある頃は技術がわかり、言葉の表面の意味を考えて、「ソトバ」がわかったように思うのです。巧くしたもので、その頃には「ソトバ」の演能の御許しは出ないのです。
 普通、年を重ねた女性の装束は、色無(イロナシ)の装いとなります。色とは紅の事で、落ち着いた深い色合いになっていきます。当然の事に、老女物は赤い色は使う筈がないのですが、実は目立たない所に赤い色を使ってもよい心得になっています。「艶を忘れぬように」という「教え」になっているのですが、根本には「艶」即ち「人間の捨てきれぬ心」、これが残り、しかし枯れた態である。表面は、このような事かと思いますが、これはなかなか、特に若く活気に溢れている頃には、本当にわかるものではない様に思います。
 老女物の最初が、この「卒都婆小町」です。これ以降は、月のもとで恨みもなく、浄土を垣間見るような心地になる「姨捨」、本当に無邪気に人の中にいる「関寺小町」、これらの能をも将来にはやってみようと思う日が来てほしいと思います。また、折角「ソトバ」をさせて頂きますので、幾度かさせて頂き、十年後、二十年後に「これまで、何もわかっていなかったから再度しよう」と思えるための初演になりたいと思っております。

平成21年11月7日 照の会   「卒都婆小町」にむけて 上田拓司


あらすじ
 小野小町は百歳近い老女となり、昔に比べて今の自分の老衰を思い、都の人目を恥じ、都を出ます。疲れて朽木に腰をかけて休んでいます。それは卒塔婆が朽ちたものでした。通りかかった高野山の僧は、教え諭して退かせようとします。
 老女は僧と問答をし、ついには、もともと本来無一物であり仏も衆生も隔てないと、反対に僧に諭します。僧は「誠に悟れる非人」と頭を地につけて三度礼拝します。
 老女は小野小町と名のり、昔にひきかえた有様を恥じます。今日の命もわからないのに明日の飢えを助けようと粟豆の乾飯を袋に入れ首にかけ、垢や脂の衣の袋を後に負い、白黒の慈姑の籠を肘にかけ、破れた蓑、破れた笠、袂も袖も朽ち、路頭に迷い、人に物を乞う。その有様を語るうちに、狂乱の心になり、僧に対し声を上げます「なう、物賜べなう、お僧なう」物を下さい、と。驚いた僧が「何事ぞ。」と尋ねると、小町は「小町が許ヘ通はうよなう」小町の所へ行く、と。
 僧が尋ねると、小町に心をかけた人の中でも殊に思いの深い、深草の四位の少将が憑いたと答えます。ありし日の、深草の少将の小町の許への百夜通いの有様を語り、あと一夜で死んだ少将の怨念が憑き添いて、小町は狂乱します。
 それにしても後の世を願う事は真であり、小善を積み、仏身となるように、花を仏に手向け、悟りの道に入りましょう。

                     (上田拓司)

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